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【暮らし】

<家族のこと話そう>激務支えてくれた夫 外務省審議官・志野光子さん

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 夫はドイツ人で、コンピューター関連の技術者をしています。出会ったのは、入省後の語学留学で二年通ったドイツの大学でした。彼は物理、私は国際法で特に人権問題が専門。お互いに相手の分野のことはまったく分からないのですが、気が合いました。

 結婚後は、私の帰国に合わせて、日本へ付いてきてくれました。夫はパソコンが仕事道具。インターネットにつながるLANケーブルと電源さえあれば、どこでも働けます。今は義母の介護でドイツにいて離れて暮らしていますが、それ以前は、転勤にもずっと付いてきてくれました。

 外国人同士なので何が常識なのかお互い分からない。結婚前は将来について、かなり話し合いました。私は「仕事は辞めない」「どんな国でも行く」と決めていたのですが、夫は納得してくれました。

 夫は結論が固まったら、揺るがないところがあります。長女が生まれた際には「一番合理的な解決方法だから」と自分の仕事を調整し、家庭を支えてくれました。

 私は入省後、仕事で「やれるか」と聞かれ「できない」と言った記憶がありません。女性の外交官がまだ少ない時代。激務に取り組めたのも、夫の支えがあったからです。

 ただ、仕事柄、国内外を転々としたので、二人の子どもたちも苦労したと思います。転勤のたびに友達と別れなければいけないのはこたえたようです。長女、長男ともに大学進学を機に家を離れましたが、以前、「深い友達ができなかった」と愚痴を言われたことがあります。海外を経験した良さは感じているようですが、失ったものも大きいのかもしれません。

 外交官を志したきっかけは高校時代に、アウシュビッツ収容所を逃れた女性を描いた映画「ソフィーの選択」を見たこと。物語の主人公のソフィーは娘と息子と一緒に収容所へ連行され、ドイツ人将校に「二人のうち一人だけ連れていっていい。おまえが選べ」と迫られます。私は子ども時代、体が弱かったので、見捨てられる娘と自分が重なり、恐怖を覚えました。こんな悲劇を起こしたくない。あのころからずっと、その思いを持ち続け、今も外交に携わる原動力です。

 二人の子どもに恵まれた今は母親としてソフィーに自分を重ね、その絶望を感じるようになりました。今の仕事は日本の文化を海外に発信すること。日本の文化の底流には、相手を思いやる心があると思います。その良さを伝えることで、人権を尊重し、誰一人として「ソフィーの選択」をしなくてよい世界が築けるよう尽力したいと思っています。

 聞き手・植木創太/写真・金田好弘

<しの・みつこ> 1963年生まれ、愛知県三好町(現・みよし市)出身。県立岡崎高、一橋大を経て、1987年に外務省へ入省。在ドイツ大使館1等書記官、人権人道課長などを経て、2014年に初代駐アイスランド大使に就任。在ジュネーブ国際機関政府代表部次席大使を経て19年7月から国際文化交流審議官。同期のうち女性は3人で、皇后雅子さまはその一人。

 

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