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【社会】

悲しみ抱え、前を向く 御嶽山噴火4年 麓で遺族ら式典

御嶽山の噴火災害犠牲者追悼式を前に、涙ぐむ遺族=27日午前、長野県王滝村で

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 五十八人が死亡、五人が行方不明となった御嶽山(おんたけさん)(長野・岐阜県、三、〇六七メートル)の噴火災害から二十七日で四年となり、麓の長野県王滝村で犠牲者追悼式が開かれ、参列者は噴火時刻の午前十一時五十二分、鳴り響くサイレンの音に合わせて黙とうした。

 遺族を代表し、次女の照利(あかり)さん=当時(11)=を亡くした愛知県豊田市の長山幸嗣(こうじ)さん(48)は「四年前を思い出すと心が強く揺れ動く。娘ともっと一緒に笑っていたかった。いまだに悲しみを抱えながら、少しでも前向きに生きようと頑張ってきた」と話した。

 王滝村と長野県木曽町が主催。原久仁男(くにお)・木曽町長は「麓に暮らすわれわれは二度と犠牲者を出さないことを心に刻み、復旧復興はもとより災害の教訓を確実に未来へ継承していく」と述べた。

 御嶽山は二〇一四年九月二十七日に噴火し、噴火災害では戦後最悪の犠牲者が出た。一部遺族が事前に噴火警戒レベルの引き上げを怠ったなどとして国と長野県に損害賠償を求めて提訴し、長野地裁松本支部で係争中だ。木曽町側から山頂までの通行規制が解除された二十六日、遺族は噴火後初めて山頂を訪れ慰霊。二十七日も新たに設置された慰霊碑に、手を合わせる人の姿が見られた。

◆教訓「語り継がねば」 生還の男性「マイスター」に

御嶽山を背景に噴火当時の体験を語る「御嶽山火山マイスター」の笹川隆広さん=3日

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 噴火の教訓を伝え、防災知識の啓発に取り組む「御嶽山火山マイスター」が、今夏から活動を始めた。認定を受けた地元の八人の一人、山岳ガイド笹川隆広さん(53)=長野県木祖村=は二〇一四年の噴火時、山中で死の恐怖を味わって生還。「生かされた恩返しをしたい」と、御嶽山がもたらす災いと恵みを伝えようと意気込んでいる。

 中学二年の頃、地元の学校登山で初めて登り、エメラルドグリーンに輝く山頂周辺の二ノ池など、御嶽山の神々しい景色に魅せられた。ここ十年ほどは長野県側の麓の宿泊施設職員として、ガイドなどをして暮らす。

 一四年九月二十七日は、御嶽山を紹介するテレビ番組のスタッフら八人とともに入山。正午前、八合目付近から頂の方角に、白煙がもくもくと上がるのが見えた。

 「噴火だ。撮って撮って」。巻き込まれるとは考えもせず、避難を呼び掛けたのは、十五分ほどして噴煙が迫ってきてから。慌てて山小屋に向かって避難を始めたが、生暖かい火山灰の土砂降りに見舞われた。光が遮られた「夜より暗い暗黒の世界」。歩みは鈍り、山小屋が一向に見えない。

 絶えず鳴り響く火山雷に「打たれるのでは」とおののき、歩いた三十分は途方もなく長く感じられた。幸い全員、無事山小屋に着いたが、脚の震えが止まらなかった。

 帰宅後、被害の深刻さを知り「噴石が届いていたら、全員を死なせていた。ガイド失格だ」と軽率な言動を悔やんだ。台風で日程がずれ込まなければ、当日は犠牲者が多く出た山頂周辺で撮影予定だった。

 後悔の念と「生かされた者として、何かしたい」との思い。火山マイスターの募集を知り、迷わず手を挙げた。現在は仕事の傍ら、当時の体験を講演などで伝えている。

 噴火後、御嶽山のガイドの仕事はめっきり減った。マイスターとして噴火時の話をすればするほど、観光客の足は遠のきかねない。それでも生かされた者として、噴火を語り継ぐつもりだ。「記憶を風化させてはいけない。その上でもっともっと御嶽山の素晴らしさを伝えたい」。笹川さんは、力強く語った。

 

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