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【社会】

「女はつくづく恐ろしい」 鴎外、若き友へ戦地の句歌

鴎外が俳句(左端)を書いて大久保栄に送った絵はがき

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 文豪・森鴎外(おうがい)(1862〜1922年)が軍医として従軍した日露戦争の戦地から、東京の自宅の書生に俳句と短歌を書き送った2通の絵はがきや両者の深いつながりを示す書簡などが、岐阜県大野町で見つかった。句と歌は鴎外の詩歌集「うた日記」に所収されているが、創作時の状況や宛先が判明したのは初めて。専門家は「鴎外の人物像や交流関係を知る貴重な資料」としている。 (小倉貞俊)

 はがきなどが見つかったのは、現在の大野町出身で当時は東京帝国大(現東京大)の医学生だった大久保栄(一八七九〜一九一〇年)の子孫宅。大久保は東京・千駄木の鴎外宅(観潮楼)で書生となり、長男於菟(おと)(一八九〇〜一九六七年)の家庭教師を務めるなど厚い信頼を得たとされる。

 今春、遺品を整理した子孫が、直筆はがきのほか、鴎外本人や家族からの書簡十数点を確認した。

 はがきは旧満州(中国東北部)から出され、差出人は「出征第二軍軍医部 陸軍軍医監 森林太郎」。一枚は明治三十八(一九〇五)年十月二十五日付の消印がある。裏面に、新聞小説で当時人気を博した幸田露伴作「天(そら)うつ浪(なみ)」の一場面で、「五十子(いそこ)」という女性に片思いする主人公の青年の挿絵が印刷されている。

鴎外が短歌を記し、大久保栄に送った絵はがき

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 鴎外は「まだ天うつ浪を読んでいないので、五十子がどういう人かは知らないが」と前置きした上で「冬ごもり つくづく女を おそれけり」と詠んだ。

 鴎外の詩歌に詳しい歌人、今野寿美さんによると「冬の間はこもりきりで邪念にもとらわれるが、女とはつくづく恐ろしいものだね」との趣旨。「年下の親しい友人へのからかいや冷やかしが感じられる。一般には謹厳なイメージの鴎外の、ユーモアのある一面がにじみ出ている」と分析する。

 もう一枚は同二十一日の消印で「白楊(はくよう)の 黄ばみしまろ葉風にまふ 中に立てりと俤(おもかげ)に見よ」と短歌が記されていた。色あせた白楊(ハコヤナギ)の葉が舞う中に立っていると思ってくれ、の意。今野さんは「戦地の鴎外を心配しているであろう大久保に、自分の無事を伝える内容」とみる。

 鴎外研究の第一人者、森鴎外記念会(東京都文京区)の山崎一穎(かずひで)顧問は「鴎外は志や才能のある若者をとても大切にした。中でも大久保は家族同然の付き合いをしていた人物」と指摘。「絵はがきを送った当時は既に戦闘が終結しており、鴎外は帰国を待つばかりになっていた。安堵(あんど)感もあって、親しみやユーモアを込めた内容になったのでは」とみる。

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<森鴎外> 明治・大正期の作家。現在の島根県津和野町出身で、東京大医学部卒業後、陸軍軍医として勤務しながら小説「舞姫」「高瀬舟」などを発表。詩や俳句、短歌にも親しみ、日露戦争の戦地から家族や友人に手紙で送った作品を帰国後にまとめ、詩歌集「うた日記」として刊行した。東京・文京区立森鴎外記念館で、「うた日記」の関連展を2019年1月14日まで開催中。

◆書生・大久保栄 長男の家庭教師も

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 大久保栄は医学界での将来の活躍を嘱望されながら三十一歳で留学先のパリで客死した。今回確認された計約五百点の遺品からは、不明な点が多かった鴎外一家との深い関わりや、その人物像がうかがわれる。

 見つかったのは、大野町で代々医院を営んできた大久保家の当主映子さん(73)宅。

 映子さんによると、他家で生まれた栄は大久保家の養子となった。遺品の中には、一九〇六年に東京帝大医学科を首席卒業したことを記した書類もあった。

 家庭教師を務めた鴎外の長男、於菟との書簡のやりとりからは、鴎外が手掛けた戯曲「仮面」の台本で大久保から誤りの指摘を受けた後、公演前に手直ししたことが分かった。

 死去した大久保の才能を惜しんだ鴎外が大久保の養父に宛て、遺稿の出版に協力する意向を伝えた手紙も見つかった。

 

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