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【社会】

キーンさん死去  心通い合う親類のよう 寂聴さん寄稿

 二十四日死去した日本文学研究者ドナルド・キーンさんについて、親しく交流した作家の瀬戸内寂聴(じゃくちょう)さんが、本紙に心境をつづった文章を寄せた。

 ◇ 

 ドナルド・キーンさんが亡くなった。方々から電話が来て、私が気を落としてどうかなっていないかと聞いてくれる。まるでキーンさんが私の愛人か血縁の人だったかのような気の使い方である。

 私とキーンさんは、そのどちらでもない。しかしキーンさんとは、心が通い合い、親類づきあいのような親しさが生まれていた。キーンさんの誕生日は一九二二年六月十八日で、私の誕生日は同年の五月十五日だったので、私がほんの少しお姉さんということになる。

 キーンさんの文学的名声は、早くから日本文壇にはとどいていて、谷崎潤一郎や川端康成、三島由紀夫たちとも交流し華やかであった。

 名声だけを知っていた頃、ふとした縁で、キーンさんの能の謡と仕舞を見たことがあったが、その声の堂々とした立派さと、仕舞の見事さにあっけにとられてしまった。

 親しくなったのは、私が源氏物語の現代語訳を仕上げた頃で、キーンさんと親類づきあいのようだった、中央公論社(現中央公論新社)社長を務めた嶋中鵬二(ほうじ)さんご夫妻の引き合わせで縁ができ、以来会えば何時間も話しこんでしまう仲になっていた。私の寂庵(京都市)にも来てもらったし、キーンさんの和式の住まいに招かれたこともあった。

 アメリカの旅から帰ったばかりのキーンさんと二〇一一年、中尊寺(岩手県平泉町)の金色堂で対談したことは忘れられない。

 その時、はじめて歩く姿にふっと老いの影を見て、自分の老いも振り返ったことを覚えている。

 対談もよくしたが、最晩年はいつも養子になった誠己さんが隣に座っていて、対談をなめらかにしていた。誠己さんは若くて、一見キーンさんの孫のようにも感じられたが、優しく、よく気がつき、キーンさんの隅々まで気を使っていた。キーンさんが誠己さんを心から愛していることが、言葉や態度に表れていて、キーンさんがこの人の故郷に最後のすみかを定め、日本人としての国籍を取ったこともうなずけた。

 キーンさんは、その業績によって数々の文学賞を取られた上、文化勲章も得られた。

 嶋中鵬二夫人の雅子さんは、キーンさんの着る物の世話まで細かくしてあげていて、「日本がキーンさんの仕事を本当に理解していることをいつも喜んでいられたわ」と話されていた。

 私もキーンさんも年をとっても仕事をやめず、人にあきれられていたが、キーンさんはいくつになってもアメリカへ行き来するし、海外旅行も平気でされる。私はそのまねはとてもできなく、よろよろしてきたので、キーンさんより先にあの世へ旅立つだろうと決めていたのに、こんなことになってぼうぜんとしている。

 でもキーンさんも気の置けないおしゃべりの相手が必要になって、そのうち私を呼びに来ずにはいられなくなるだろう。

 その日が待ち遠しい。

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