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【社会】

25歳、骨髄移植に救われ 白血病を経験、ドナー増へ奮闘

骨髄移植の経験を話す石井希さん=静岡県富士市で

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 競泳の池江璃花子選手(18)の白血病公表を契機に骨髄移植への関心が高まる中、白血病で3年前に移植を受けた女性が若年層のドナー増加に向けて奮闘している。静岡県富士市のパート事務員石井希(のぞみ)さん(25)は大学の競技ダンスの選手だった21歳の時、急性骨髄性白血病を発症したが、骨髄移植で救われた。若者に経験を語りながら、もう一度ダンスを踊る夢を抱く。 (河野紀子)

 東京の大学で部活のダンスに打ち込んでいた二〇一五年一月。体がだるく、四〇度近い高熱が出た。病院の検査で血小板の数値が異常に低く、即入院。白血病と診断された。

 抗がん剤治療を開始し、大学は休学。ダンスもやめざるを得なかった。当時は大学三年生。最後の大会で成績を残そうと頑張っていた。

 当初から骨髄移植が検討され、型が一致する人が複数見つかった。だが、全員辞退したと医師から聞いた。ドナーの負担も理解できる。「やむを得ない」と自らに言い聞かせた。半年の入院と抗がん剤治療で一度はがん細胞が消えたが、四カ月後に再発した。

 医師から「骨髄移植しか助かる道はない」と告げられ、型が完全に一致しなくても移植することを選択した。ただ、ドナーの免疫細胞が患者の体を攻撃するなど、重い合併症が出る可能性があった。初めて死を意識した。

 型が似たドナーが見つかり、提供に同意してくれた。一六年二月、強い抗がん剤と放射線で自らのがん細胞と正常な血液細胞を壊した後、ドナーの骨髄液を静脈から四時間かけて注入した。ドナーは「三十代の女性」とだけ知らされた。血液型が、A型からドナーのO型に変わった。「ドナーの方の血液が流れ、生まれ変わったように感じた」

 二カ月後に退院し、その一年後に復学。卒業論文のテーマに骨髄移植を選んだ。学生へのアンケートで詳しく知っている人が少ないことを実感。昨春の大学卒業後、日本骨髄バンク(東京)の「ユースアンバサダー」の第一号に選ばれ、大学などでの講演や寄稿を通じて若年層に登録を呼び掛ける。

 現在は経過観察中だ。免疫力が落ち、風邪で二週間ほど寝込むこともある。市の就労支援の窓口を通じ、治療との両立に理解のある福祉用品関連会社に就職した。パートで週四回、短時間勤務をしている。

 池江選手の公表を聞き、「悔しさはすごく分かる」と闘病を案じる傍ら、ドナー登録が増えていることに「影響は大きい」と感謝する。

 退院後、ダンス用のシューズを新調した。体力にまだ不安はあるが「いつか得意のラテンダンスを踊りたい」。ドナーから受け取った命の大切さを伝えながら。

骨髄液が入ったパック(右上)を見つめる石井さん=2016年2月、同県長泉町の静岡がんセンターで(石井さん提供)

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