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【社会】

<東日本大震災8年>望郷の心 再びつなぐ 石巻・雄勝町の30歳院生

「あの海っぷちに元の自宅があったんです」と語る阿部晃成さん=石巻市雄勝町で

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 多くの人々の命を、普通の暮らしを奪い去った東日本大震災から11日で8年。被災地では、今も復興への途上にいる住民は多い。各地では遺族らが早朝から雨の中、墓前や慰霊碑を訪れ、亡き人に思いをはせた。

 山々に囲まれた群青の美しい海を覆い隠すように、海抜九・七メートルの防潮堤建設が進められている。宮城県石巻市雄勝(おがつ)町の雄勝湾。海沿いの道路をダンプカーが土煙を上げて走りすぎる。

 「あの海っぷちに元の自宅があったんです」。市内の大学院生、阿部晃成(あきなり)さん(30)が自宅建設予定地のある高台から指をさした。

 二〇一一年三月十一日、家業の電器店兼自宅があった雄勝町の中心部約六百世帯は津波に流された。阿部さん一家七人も避難先の知人宅が流され、一晩漂流しながら生き延びた。五月初めには、市中心部まで車で約十五分の内陸部に住む顧客から、仮住まいの家を安く譲り受けた。

 その月にできた「復興まちづくり協議会」では、阿部さんは元の場所で暮らすことを仲間と共に求めたが、高台で家を再建したい住民と対立。市は一二年末に高台移転を決定し、沿岸を人の住めない災害危険区域に指定した。阿部さんは「高台移転か、町を出て内陸移転するかの二者択一を迫られ、戻りたくても戻れなくなった」と憤る。

 雄勝町に鉄道はなく、JR石巻駅まで車で約四十分。医療機関は診療所と併設の歯科診療所のみ。石巻赤十字病院やイオンモール石巻に行く住民バスは週三日、一日三往復しかない。多くの人が内陸などに移り、震災前に約四千三百人だった人口は七割減の約千三百人になった。

 雄勝町中心部の高台の災害公営住宅に一七年末に入居した山下哲雄さん(74)の長男と次男の家族は市中心部に住む。「雄勝に来たって仕事は何もないっちゃ。ここは七十歳過ぎた年寄りばかり。俺は生まれ育った町で海を見ながら暮らすのが最高だけど」と話す。

 阿部さんは若者が地元で働ける場をつくろうと奔走した。漁船を買って年配の漁師を雇い、若者を漁師として教育してもらおうと起業したが、漁業権の壁にぶつかり失敗。一五年初めに林業団体をつくり木質バイオマス発電への活用を目指したが、山の持ち主の協力を得られなくなり、翌年にこれも頓挫した。

 「心が折れた」と阿部さん。携帯電話の電源を切り、支援者とも連絡を絶った。三カ月後、心配して自宅を訪ねた旧知の大学教員に「まだ二十八歳。もう一回勉強し直したらどうか」と励まされ、一七年四月に慶応大大学院政策・メディア研究科に入学。被災者支援のあり方を研究する。

 今年二月からは、東北大の課外・ボランティア活動支援センターの学術研究員にもなった。県内や熊本大など八大学の学生が東北の被災地を巡るスタディーツアーで雄勝町を案内した際、知人から「五月に開かれる小中学校と地域住民の合同運動会でボランティアの人手が足りない」と聞き、学生ボランティアを紹介することになった。

 阿部さんの挫折を気に掛けていたこの知人は「神様がつないでくれた」と喜んだ。「住民として戻ってこられるかまだ分からない。だけど、こんな形で少しは町のことに関われるのはうれしい」 (西田義洋)

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<石巻市雄勝町> 宮城県北東部にあった旧雄勝町が2005年4月、市町村合併で石巻市となった。東日本大震災で壊滅的な被害を受け、町内だけで243人の死者・行方不明者(2月末、関連死含む)が出た。住民基本台帳によると、震災前の人口は4366人(10年9月末)だったが、今年2月末現在1282人。10年9月末に303人だった15歳未満人口は昨年9月末に50人と83・5%減。昨年9月末の65歳以上の割合(高齢化率)は54・2%。

 

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