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【社会】

<東日本大震災8年>大熊から避難・木村さん 次女捜すため来月移住

汐凪さんの遺骨の一部が見つかった田んぼの慰霊碑に向かって合掌する木村紀夫さん=11日、福島県大熊町で

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 東日本大震災で父と妻、娘を亡くし、東京電力福島第一原発事故により長野県白馬村で避難生活を送る福島県大熊町の木村紀夫さん(53)は11日、帰還困難区域にある自宅や海岸を訪れた。次女で小学1年だった汐凪(ゆうな)さん=当時(7)=の遺骨は一部しか見つかっていない。紀夫さんは「汐凪が『震災を忘れず伝え続けて』と言っている気がする」と目を閉じた。 (天田優里)

 町の帰還困難区域には、壁が崩れた住宅や鉄骨がむき出しになったヒラメの養殖施設が当時のまま残る。「家族を亡くした上、自宅にも自由に出入りできない」。紀夫さんは悔しさを口にする。

 午後二時四十六分。午前中から降り続いた雨がやみ、雲の合間から光が差し込んだ。汐凪さんと幼い頃釣りをした自宅そばの海岸に花束を手向け、そっと手を合わせた。荒れ果てた海辺にはほかに誰もおらず、打ち寄せる波の音が響いた。

汐凪さん

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 震災前、紀夫さんは原発から南に約三キロの自宅で父母、妻、娘二人と暮らしていた。元気いっぱいの汐凪さんは、家族のムードメーカーだった。「夏の海のように穏やかな女性になってほしいと願って付けたが、活発な子に育った」

 八年前の三月十一日。紀夫さんが隣町の勤務先から車で戻ると、津波に襲われた自宅は土台だけしか残されていなかった。汐凪さんと父、妻の行方を夜通し捜したが見つからず、翌日には町全域に避難指示が出た。「家族を見殺しにして逃げた」という後悔を抱き、母と長女と町を後にした。

 父と妻の遺体は翌月見つかったが、汐凪さんの行方は分からなかった。遺骨が初めて見つかったのは二〇一六年十二月。自宅から約二百メートルの田畑にあった汐凪さんのマフラーに、小さな首の骨が残っていた。歯の付いたあごの骨なども確認されたが、大部分が見つかっていない。

 四月に長女が東京に進学するのを機に白馬村から、日帰りの捜索が可能な福島県いわき市に引っ越す。全ての遺骨が見つかっていないのには、理由があると感じる。「汐凪が『これからも会いに来て』と言っている気がする。見つかるまで、これからも震災と付き合っていく」

 

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