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【社会】

日韓併合「朝鮮人すべての自由意思でなく」 100年前の東京「二・八宣言」供述調書見つかる

二・八独立宣言を主導し、取り調べを受けた崔八ヨンの供述調書。左から3行目、「決シテ日本人テアルコトヲ自覚ハシマセン」と記されている=東京・霞が関の弁護士会館で

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 百年前の東京で、日本の植民地だった朝鮮の独立を求めた「二・八独立宣言」を発表し、出版法違反の罪で禁錮刑を受けた朝鮮人留学生らの供述調書が、専門図書館に所蔵されていることが分かった。宣言は翌月に朝鮮半島で起きた三・一独立運動に影響を与えたとされ、研究者らは「植民地支配に抵抗する若者の肉声を伝える貴重なものだ」と評価している。 (小佐野慧太)

 所蔵されていたのは「出版法違反事件」と題した約五百五十ページ。事件が起きた一九一九(大正八)年二月八日などの留学生九人の供述調書や起訴内容、東京地裁の公判記録からなる。弁護人が保存していた写しとみられる。

 二・八独立宣言を起草したのは、早稲田大留学生で作家の李光洙(イグァンス)。調書では他に、崔八ヨン(チェパルヨン)、金度演(キムドヨン)、金チョル寿(キムチョルス)、白寛洙(ペクグァンス)の四人も原案を考えたとされる。

 リーダーの崔は調書で、日本が朝鮮の植民地化を完成させた一九一〇年の日韓併合について、「(朝)鮮人総(すべ)ての自由意思でなくして日本より圧迫を受けた結果不止得(やむをえず)併合されたるものとしか認められんのです」と述べ、「(私たちは)決して日本人であることを自覚はしません」と主張している(原文は濁音のない旧仮名遣い)。

 そのほか、「(宣言は)全く正義を唱えたるもの」(金度演)、「法律に触れたとしても遣らねばならぬ事であります」(白寛洙)などの供述もあった。李ら五人は、警察の目を避け東京・九段の靖国神社にある大村益次郎像前で話し合うなどしていたという。

 供述調書などは、東京弁護士会・第二東京弁護士会合同図書館(千代田区)が一九〇〇〜五〇年代の刑事裁判記録七十九件(八百九十六冊)の一冊として所蔵していた。「出版法違反事件」という題名などは公表されていたが、内容は研究者にも知られていなかった。二〇一一年に早大図書館の協力で、マイクロフィルム化された。

 資料を分析している早大大学史資料センターの宮本正明嘱託(日朝・日韓関係史)は「当時の記録は少なく、事件を細かく復元できないうらみがあった。この資料は留学生たちの思いにまで迫れる存在意義の大きいものだ」と話す。

 在日本韓国YMCA2・8独立宣言記念資料室(東京・神田)の田附(たづけ)和久室長は「留学生らの戦後の回顧録には多くの記憶違いもある。そうした混乱を正してくれるのではないか。独立運動の歴史を見直す動きが高まる韓国側にとっても重要な資料となるだろう」としている。

<二・八独立宣言・出版法違反事件> 第1次世界大戦後の1918年、「民族自決」の思想が広がり、東京の朝鮮人留学生の中でも祖国独立の機運が盛り上がった。留学生らは19年2月8日、朝鮮半島を植民地統治していた日本政府や各国大使館、言論機関に独立宣言を送った後、東京・神田の東京朝鮮基督(キリスト)教青年会(YMCA)の会館で集会を開いた。留学生らは同日摘発され、政治体制を破壊する内容の文書を配布したとして出版法違反の罪で、宣言に署名した11人のうち9人が禁錮9月〜7月半の刑を受けた。宣言書は朝鮮半島にも渡り、翌月に半島全土に広がった植民地時代最大の抵抗運動、三・一独立運動につながった。

二・八独立宣言を発表した留学生ら。2列目左から白い服を着ているのが崔八ヨン、1人おいて金チョル寿、白寛洙、1人おいて金度演=在日本韓国YMCA提供

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