東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社会 > 紙面から > 4月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【社会】

「五つ目の時代」に平和の祈り 明治、大正、昭和、平成、令和へ

次の時代への希望を語る臼井治郎さん=岐阜県大垣市で

写真

 明治に生まれ、大正、昭和、平成と生きてきた人たちは、新しく始まる五つ目の時代「令和」に思いをはせる。元号は時代の象徴であり、記憶の引き出しを開ける鍵。長い人生を振り返り「平和な時代に」「誰もが幸せに暮らせる世の中に」と願った。

 岐阜県大垣市の臼井治郎さん(百八歳)が生まれたのは一九一一(明治四十四)年。翌年、元号は大正に。英国の豪華客船タイタニック号が沈没し、二年後の一四年に第一次世界大戦が起きた。

 「大正が一番よかった。遊んでおればよかったから。あとは戦争の影響であんまりね…」

 十五歳を迎えた二六年、時代は昭和へと移った。四一年には太平洋戦争が始まり、弟は戦地へ。遺骨の代わりに石が一つ、遺族の元に届いた。

 戦後は、高度経済成長期の七〇年まで保健所の所長を務めた。退職後に内科医院を開業。七十八歳だった八九年に平成となり、百五歳まで現役の医師として地域の人たちの健康を見守ってきた。

 「次の時代もみんな楽しく、にこやかに暮らせるのが一番いい」と話していた臼井さん。新元号が公表された一日は、普段歌わない歌を口ずさんだ。今も戦争の記憶は薄れないといい、「和」の字が使われた新元号に「平和を守っていこうということやないか」と穏やかに語った。

自身が描いた絵や好きな歌集と平田もとめさん=千葉県松戸市で

写真

 千葉県松戸市の平田もとめさん(百十二歳)は〇六(明治三十九)年、長野県上田市の農家に生まれた。夏目漱石の小説「坊っちゃん」が発表された年。平田さんも文学少女だった。

 嫁いだ先は養蚕農家。世界恐慌の影響で生糸が暴落したころだった。生活は苦しく、朝から晩まで働いて四男二女を育てた。仕事の合間に詠む短歌が心の安らぎだった。

 戦時中は地元の婦人会で、ちょうちん行列の準備も。四五年に戦争は終わったが、生きて帰った近所の軍人一家が心中した。「赤ん坊もいて、本当にかわいそうだった」

 その後も畑仕事などで働きづめだった昭和。短歌の同好会で活動したり、花や鳥の絵を描いたり趣味を思う存分楽しめるようになったのは、平成に入ってからだ。現在は長野から千葉に引っ越し、次女(74)と自宅で暮らす。新元号の令和に「素晴らしい」と一言。歌が好きだっただけに出典の万葉集についても「知ってるぞ」。新時代への希望を尋ねると「世の中うまくいってほしいねえ」と、ほほ笑んだ。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報