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【社会】

<皇室担当が見た象徴天皇>長崎訪問  雨中、傘閉じ全霊の祈り

植樹祭で長崎市を訪れ平和公園で供花する天皇、皇后両陛下。右端は本島等市長=90年5月

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 即位から一年四カ月たった一九九〇(平成二)年五月、天皇陛下は皇后さまと全国植樹祭で長崎県を訪問し、平和公園で原爆犠牲者に供花された。天皇としては初めての長崎訪問だった。

 先導役は「昭和天皇の戦争責任」発言に反発する右翼活動家に銃撃され、公務復帰した本島等市長(故人)。天皇と市長の対面ばかりが話題になっていた。

 平和祈念像を訪れた両陛下は小雨が降り続く中、傘を閉じて女官に預け、献花台へ。本島市長も慌てて傘を畳んだ。白菊を供えて深々と低頭する両陛下の両肩はぬれていた。本島氏の発言や事件を一時忘れ、厳粛な気持ちにさせられた瞬間だった。

 翌年七月、両陛下は日帰りで再び長崎を訪れた。目的は死者・行方不明者四十三人を出した雲仙・普賢岳噴火災害のお見舞いだった。

 当時、避難先の体育館で膝を着いて被災者に声をかける姿が話題になったが、私には違和感はなく自然な姿に見えた。

 それよりも、後日、帰りの飛行機に乗り込んだ皇后さまの首筋が気の毒なほど日焼けしていたという話を侍従から聞いてびっくりした。両陛下は体育館など七カ所の避難所を休む間もなく回ったのだが、なるほどこの日はとても暑かった。

 皇居で勤労奉仕する人たちへの「ご会釈」も昭和の時代とは少し変わった。例えば地方の農協が募った農家の奉仕団には、陛下はその作柄を細かく尋ね、台風の被害はなかったかと心配される。天皇と国民の距離がぐっと近くなった。

 その勤労奉仕の参加者は平成の三十年間で二十九万人を超えた。功成り名を遂げた人が招待される園遊会とは対照的だ。手弁当でやってきた草の根の人々との貴重な時間を両陛下は大切にされてきた。

 平成が終わろうとする今、皇太子時代から両陛下に仕えてきた元侍従が言う。「人と話すときは同じ目線で語り、死者を悼むときには、そのことに全霊を注ぐ。そうした誠実な姿勢を天皇になっても自然体で続けてこられたということです」 (随時掲載)

 椎谷哲夫=担当期間1988年2月〜94年10月

 

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