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【社会】

<東日本大震災8年>大熊町役場 再出発に花 避難の町民集まり沿道に花壇

町役場新庁舎(左奥)の開庁に向けて、町民らが沿道に植えた花=2日、福島県大熊町で(いずれも松尾博史撮影)

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 東京電力福島第一原発事故の避難指示が一部解除された福島県大熊町で十四日、新しい町役場庁舎の開庁式がある。原発事故後、町民が多く避難する会津若松市といわき市の出張所で業務を行ってきたが、八年ぶりに町に戻る。根本友子さん(71)ら避難先から集まった町民は庁舎につながる道路沿いに花壇を作り、再出発に花を添える。 (松尾博史)

 新庁舎は、避難指示が今月十日に解除されたばかりの同町大川原地区にできた。二階建てで、延べ床面積約五千二百平方メートル。元の役場は北東に約三キロ離れた場所にあるが、現在も帰還困難区域に含まれ、移転を強いられた。

 新庁舎の一角では、六月に入居が始まる復興住宅の建設も進む。工事のトラックが頻繁に行き交う道路沿いには、ヒメキンギョソウやビオラなど紫や黄色の花が咲いていた。

 「やっと、町の復興が始まる」。町の農業委員会で会長を務める根本さんが顔をほころばせた。避難先に散り散りになっている町民らに呼び掛け、三月下旬に総勢六十人で花を植えた。

大熊町で育てたヒマワリの写真を示しながら、故郷への思いを語る根本友子さん=3日、福島県いわき市で

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 根本さんが生まれ育った自宅は原発の南三キロ、除染で出た廃棄物を三十年間保管する中間貯蔵施設の用地内にあった。家は取り壊し、コメを作ってきた田んぼも手放さざるを得なかった。震災後は避難で県内五カ所を転々とし、二〇一五年にいわき市に家を建てた。

 町には自分で車を運転して、足しげく通った。農業委の活動で、一四年から大川原地区の田んぼでヒマワリを育てたり、コシヒカリを試験的に栽培したりしてきた。コメから食品基準を上回る放射性物質は検出されなかった。「粘り気があり、おいしかった。ただ消費者が安心するかどうか…」。風評被害への懸念は根強く、農業再開を希望する農家は少ない。

 避難指示解除で復興が進むとは限らない。解除から二年が過ぎた富岡町や浪江町に住む人は、住民登録者の一割にも満たない。「避難先に建てた家を処分してまで、帰る人は少ないと思う。八年で他の自治体とはすごく離された気がする」と寂しそうに話した。

 原発で、町も人も潤ってきた。だが、事故が全てを変えた。「ある日突然、何もかも奪われた気がする」と怒りを込める。「原発を動かすのは反対。こういう思いをするのは、私たちだけでたくさんだから」

 一一年三月十一日より前のような町には戻らない。それでも「古里をなくしたくないんだよねえ」という思いが背中を押す。事故前と同じ土地に住めなくても、いずれは町に戻りたい。体が動く限りは復興にかかわっていくつもりだ。

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