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【社会】

<平成という時代>基礎科学の芽、育たぬ日本 ノーベル賞ラッシュの裏

ノーベル賞の式典から帰国し、メダルを掲げる大隅良典・東京工業大栄誉教授と妻万里子さん=2016年12月、東京都大田区の羽田空港で

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 金色のメダルが、ひときわ輝いているように見えた。東京工業大(東京都目黒区)の百年記念館。大隅良典栄誉教授のノーベル賞メダルの公式レプリカが飾られている。ただ、大隅さんの言葉を思い出すと、日本の科学というろうそくが消える、最後の明るさのように感じた。

 「ノーベル賞が出ているから日本はすごい、というのは間違い。若い人が続かないと日本の科学は空洞化する」。大隅さんは二〇一六(平成二十八)年、ノーベル医学生理学賞が決まった翌日の記者会見で語った。強調したのは基礎科学の危機だった。

 〇一年、政府は「五十年間で三十人のノーベル賞受賞者を出す」と目標を掲げた。「賞を目的にするのは本末転倒」と批判され数は掲げなくなったが、図らずもその後、受賞ラッシュが始まった。

 だが、多くは昭和の研究で、今の力を反映しているわけではない。研究力の目安となる学術論文数では、各国が伸びる中で日本は減少傾向。一人負け状態だ。

 今年二月、大隅さんの意見を聞きたくて大学を訪ねた。大隅さんは平成の科学を振り返り、研究環境の劣化を挙げた。「ものすごく短期間で費用対効果が問われ、みな疲弊しています」

 そもそもの引き金はバブル崩壊だった。経済停滞を脱するには新産業に結びつく科学技術が必要と国は考えた。即効的成果を求め、研究の「選択と集中」が始まった。〇四年に国立大学が法人化されてから、国立大の人件費や研究費は約千四百億円削られ、研究資金を学外からかき集めないといけなくなった。

 そのころ私は東京工大の研究室でウニの歩き方を調べていた。すぐには役立たない研究で、お金は無かった。実験用の装置を買うときは百円ショップへ走り工夫した。

 一方、同じ生命科学分野でも医療に応用できそうな研究室は資金潤沢で、設備も最新。教授が革張りの立派なイスに座っていたのを覚えている。

 国は、博士を増やして成果を出そうと大学院の定員も増やしたが、受け皿まで十分に考えなかった。

 就職は難しく、研究職に就いても数年の期限付きがほとんど。すぐ成果を出さないと資金を得られず、次のポストにつながらない。時間のかかる基礎的な研究に取り組むのは難しくなった。「若い人がチャレンジしにくくなっている」と大隅さんは嘆いた。

 STAP細胞問題など研究不正が相次いだ一因に、雇用の不安定さを指摘する声もある。若者はそんな世界から離れていった。

 「この十年、博士課程に日本人なんてほとんどきません」と生命科学の若手研究者は言う。文部科学省によると、博士に進む学生は〇三年をピークに半減。百万人当たりの博士号取得者が減ったのは、先進国で日本だけ。異常な事態だ。

 社会を変える技術革新は基礎科学が原動力。生み出すのは人だ。

 最近でも、本庶佑(ほんじょたすく)京都大特別教授のように、基礎研究が画期的ながんの治療薬を生んだ例もある。きっかけは平成の初め、本庶さんの下で学ぶ若手研究者が自由な発想と熱意で書いた一本の論文だった。それも、目先の成果にとらわれず挑戦しやすい環境があったからこそ。まずは、ガタガタになった土台を立て直すことが次の時代では必要だ。 (三輪喜人)

 <ノーベル賞ラッシュ>2000年に化学賞を受賞した白川英樹・筑波大名誉教授を先頭に、平成の間に日本出身の研究者18人が自然科学系のノーベル賞を受けた。21世紀に入ってからは米国に次ぐ多さ。3年連続受賞のほか、同じ年に4人が受賞したこともあった。昭和期の受賞者は5人だった。

 

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