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【社会】

<平成という時代>諫早湾干拓事業 権益優先、住民犠牲の上に

国営諫早湾干拓事業で整備された農地。上は潮受け堤防で仕切られた諫早湾と干拓地前の調整池=2017年2月15日、長崎県諫早市で

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 見渡す限りの農地を冷たい風が吹き抜ける。今月中旬、長崎県諫早市の中央干拓地。二〇〇八(平成二十)年の営農開始当初から野菜を作ってきた松尾公春(きみはる)さん(62)は、怒りをこめた。

 「干拓は農家のためではない。役人が守ってきたのは天下り先の会社や公社だ。農家や漁師を犠牲にして何のための公共事業か」

 松尾さんは島原市で水産加工業と農業を営んできた。県の勧めで水代を含め、年約六百万円で三十ヘクタールの畑を借り、干拓農地で大根や赤シソを作ってきた。

 「干拓地の農業は厳しいです。海流が来ないので冬は非常に寒く、レタスなどは霜でやられやすい。優良農地で大規模農業ができるという触れ込みだったのにハウスが増えているのは、おかしかです」

 元は泥の干潟なので、土は乾くと硬く固まり、水はけが悪い。当初、四十一の農業法人が入ったが、事業に行き詰まるなどして十一法人が入れ替わった。

 宝の海と言われた諫早湾が南北七キロに及ぶ潮受け堤防で閉め切られたのは一九九七年四月。「止まらない公共事業の典型」と批判されながら、農林水産省や県が固執した大きな理由は天下りという権益の維持だった。

 前年に作成された全国農業土木技術者名簿には、干拓工事を請け負ったゼネコン三十一社に二百五十人の農水OBの名があった。設計や測量を受注したコンサルタント二十五社にも百五十三人の農水OBがいた。「OBのいない会社は、農水省の仕事はまず取れない」。あるゼネコンの幹部は当時、そう話していた。

 湾が閉め切られる直前、現地を訪ねた。ムツゴロウで知られた干潟では人々が貝採りを楽しんでいた。有明海の異変が始まったのはその翌年からだった。

 「湾の閉め切りで潮の流れが遅くなり、海の撹拌(かくはん)機能が落ちて赤潮が発生するようになった」。佐賀県太良(たら)町の漁師、平方宣清(のぶきよ)さん(66)は海に潜って二枚貝のタイラギを採っていたが、休漁に追い込まれた。アサリやクルマエビも姿を消し、ノリの色落ちも起きた。設備投資による借金苦などで自ら死を選んだ漁師らは沿岸四県で二十人を超えた。干拓が生んだ悲劇だった。

 「干拓地を造ったのは政治家、官僚、業者の癒着が大きな原因だったことが分かってきた」と平方さん。〇三年には、ゼネコン約三十社に違法な献金を要求していた自民党長崎県連幹部の元県議らが地検に逮捕された。業界は八六年の干拓開始から二〇〇〇年まで、計六億三千万円の突出した献金を県連にしていた。

 「公共工事の受注実績で献金額を割り振っており、暴力団組織の上納金を連想させる」。判決理由で裁判長が厳しく批判したのは、巨大事業をえさにした自民党流の集金システムだった。

 漁業者は、有明海の再生には堤防の常時開門が必要と主張し続けるが、国は頑(かたく)なに拒み続ける。「開門すれば干拓が海洋汚染の原因と証明される。だからよう開けんのですよ」と松尾さん。代わりに国や県は、〇二年度から有明海の再生と調整池の浄化事業を続け、既に約七百億円の税金を費やしている。

 工事を中止していれば環境破壊も、その後の税金の垂れ流しも起きなかった。政府は今また沖縄で、民意を無視して米軍新基地建設のための埋め立てを強引に進める。諫早の愚を繰り返さないために、今度は止めなければならない。 (杉谷剛)=おわり

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