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【社会】

平成の出稼ぎ、写し伝える 日系ブラジル3世が90年代再現

静岡県掛川市の自動車部品工場で、ホイールの塗装をする友人の日系ブラジル人をモデルにした作品=マエダさん提供

写真

 平成が始まった頃、職を求めて来日した日系ブラジル三世の少年が成長して写真家になり、同胞たちを撮り続けている。浜松市南区のジュニオール・マエダさん(43)。今の姿はもちろん、大勢の「デカセギ」の日系ブラジル人たちが来日した一九九〇年代当時を再現した写真も手掛ける。四月の改正入管難民法施行で新たな外国人労働者の増加が予想され、「先人の努力を糧にチャンスをつかんでほしい」と願う。 (糸井絢子)

ジュニオール・マエダさん

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 マエダさんは九〇年、父親や叔父と共に千葉県に移り住んだ。平成が始まったばかりで、まだ日本中をバブルが覆っていた。

 十五歳だったマエダさんは、日本語学校に通いながら、自動車の部品製造工場に就職。他の工場やマグロ解体業者など幾つかの仕事を転々とした。「だいたい3K(きつい、汚い、危険)の作業。良い仕事を探そうにも日本語が分からなくて探せなかったしね」

 日本人の祖父がカメラ関係の店を経営していた影響で、来日当初から趣味はカメラ。父親がブラジルに帰った後の二〇〇九年、単身で浜松に移住。プロカメラマンを目指して静岡県掛川市の養成学校を経て一四年から外国人向けのインターネットメディアで働き始めた。

 被写体としてこだわるのは、来日当時の同胞たちだ。古い機械を工場で見つけ、作業員をモデルに九〇年代の自分を再現。白黒でメッセージを簡潔に表現した。マエダさん自身が当時、就職先で事前に提示された賃金を大幅に低くされたり、小銭で買い物しようとして「くそ外国人」と言われたりしていた。

 昨年二月、ブラジル移民百十周年記念のイベントで、こうした再現作品などを展示。若い日系ブラジル人の男性が「親の苦労が分かった」と泣くのを見て「思いが伝わった」と感じた。以来、愛知県岡崎市の非政府組織(NGO)や、名古屋市のブラジル総領事館のパーティーなど、月に一回ほど全国で展覧会を開いている。

 自分が来日した頃に比べ、最近は公的なサポート制度が充実してきたと、マエダさんは思う。スーパーなどブラジル人向けの店も多い。「日本語を学ばなくても暮らせるようになったが、それは先人たちが真面目に頑張ってきたから」

 改正入管難民法で、日系ではない外国人労働者も大幅に受け入れが拡大される。「仕事だけじゃなく、あいさつや、ごみの分別など細かいルールも多いが、それを守り、真面目に頑張れば日本は必ずチャンスを与えてくれる」。今後、やって来る「かつての自分たち」へそうアドバイスした。

 

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