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【社会】

<私の平成のことば> 家族のきずなに包まれ

はがきやLINEなどで寄せられた読者らの投稿

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 平成の終わりに伴い、昨年1月に始まった朝刊1面の連載「平成のことば」もきょうで終わります。本紙が3月末から募集した「私の平成のことば」には、みなさんからはがきや封書、メール、LINEなどで計66通が寄せられました。固いきずなで結ばれた家族の思いがけないひと言、厳しい経済情勢を反映した悲痛な声…。担当記者が印象的だと感じたことばを紹介します。(肩書は当時) (神野光伸)

◆ユズリハのように 義母、亡くなる前後世思い

 千葉市花見川区 町野静子さん(86)

◇千葉市花見川区の町野節さん ユズリハのように。

 千葉市花見川区の町野静子さん(86)の義母節(せつ)さんは明治生まれで、一九八九(平成元)年七月に九十一歳で亡くなった。息を引き取る際にのこした言葉は「ユズリハのように子に譲る時期を大切にね」だった。

 若葉に譲るように古い葉を落とすユズリハは世代交代の縁起物とされる。「節目節目で後世に自分の役割を譲り渡すのが親の務めなの」と町野さん。「天皇陛下もユズリハの思いで後世に希望を託されたのかしら」と推し量る。

 節さんの三男にあたる夫は四十五年前、四十五歳で事故死。実兄と長男も太平洋戦争で亡くしている節さんは「親より早く子どもが死ぬもんじゃない」が口癖だった。町野さんも戦争末期、千葉県で米軍機の機銃掃射を受けて麦畑に伏せた恐怖を経験した。「子や孫に戦争だけは絶対にダメと継承していくことが私の務め」と話す。

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◆極楽って今のこと 認知症の母介護の父が

 東京・国分寺市 金子千佳さん(50)

◇浜松市南区の大島久和さん 極楽っていうのは今のことを言うんじゃないのか。

 浜松市の実家に電話をかけると、思いがけない言葉が返ってきた。「極楽っていうのは今のことを言うんじゃないのか」。二〇一二(平成二十四)年三月、東京都国分寺市のパート従業員金子千佳さん(50)が、寡黙な父の大島久和さん(88)から聞いたひと言だ。

 当時、母は脳梗塞をきっかけに認知症が進み、やがて歩くこともかなわなくなった。注文が多かった母に、父は食事をつくり、夜中に何度も車いすに乗せてトイレに連れて行った。

 「老老介護」で大変そうに見えた。だが、母から子どものように「ありがとう」と感謝を伝えられたり、ほおにキスされたりする父の姿に「頼られるのがうれしかったんだと思う」。

 母は一六年に亡くなった。「何も苦じゃなかったよ。何も大変なことはなかったんだ」。約五十年連れ添った夫婦のきずなを見て金子さんは感じた。「極楽って身近にあるんだ」と。

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◆天皇陛下

 平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています。

 二〇一八(平成三十)年十二月二十三日、八十五歳の誕生日を迎えた天皇陛下が在位最後の誕生日会見に臨まれた。太平洋戦争中、生まれ育った三重県桑名市で空襲を経験した無職森川貢さん(86)=神奈川県藤沢市=は、「天皇陛下は戦争の贖罪(しょくざい)の行動にずっと努められてきた。そのお言葉には戦後のどの歴史書よりも真実が込められている」と評する。

◆横浜市青葉区の教師の長女

 愛だよ、愛。

 横浜市青葉区の無職大川育子さん(67)が二〇〇二(平成十四)年四月、結婚を機に退いていた高校教諭の職に二十七年ぶり五十歳で復帰する際、当時中学一年だった長女(29)に掛けられたひと言。

 「長い間ブランクがあり、重責を背負う教壇に立てるかどうか不安だらけだったけど、愛さえあれば生徒に向き合えると気付かされた」。非常勤まで勤め上げ、今年三月に教職を退くまでずっと胸に刻み続けた。

 

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