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【社会】

<ドキュメント改元>さよなら「平成」の地で ゆかりの街・学校

 平成の時代が幕を閉じる。名前に「平成」が付いたゆかりの街や学校で、人々が三十年間を振り返った。就職や結婚、出産と、人生の基盤を築いた人、次の令和に期待を込める人−。あなたにとって、どんな時代でしたか?

◆未開通「思うように進まず」 市原の平成通り 残る2区間3キロ

ガードレールでふさがれている「平成通り」の未開通区間=30日、千葉県市原市姉崎で

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 平成元(一九八九)年に公募で名付けられた千葉県市原市の市道「平成通り」は、全線開通のめどが立たないまま、改元を迎える。

 千葉市との市境から市原市内を通り、同県袖ケ浦市へ抜ける全長約十三キロのうち、二区間計約三キロが開通していない。市原市姉崎にある未開通区間の入り口はガードレールでふさがれているが、小雨交じりの三十日も多くの車が迂回(うかい)するように通行していた。近くの主婦(70)が皮肉交じりに話した。「これからは『令和通り』の方がふさわしいんじゃない?」

 市原市によると、都市計画決定したのは、前回の東京五輪が開かれた一九六四年。京葉臨海工業地帯の都市を結び、国道16号や館山自動車道、JR内房線と並行。完成すれば主要な道になりそうだが、用地買収が難航して未開通区間の工事は進んでいない。

 市道路建設課の富樫淳一郎課長は「平成のうちに造りたかった思いはあったが、道路への補助金は時の政権の意向に色濃く左右されるので、思い通りには進まなかった」と語った。

 通り沿いには全国チェーンの店が多い。あるコンビニで深夜に勤務するアルバイトの男性店員は「給料はそれほど多くないのに、人手不足で休みが取れない。改元で待遇も改善されれば」とつぶやいた。(山口登史)

◆時代に一区切り「やはりさみしい」 横須賀・平成町 埋め立て地

「平成ブランドかな」と話す平成町在住の内海雄三さん=神奈川県横須賀市で

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 神奈川県横須賀市平成町は、平成四(一九九二)年に完成した五十八ヘクタールの埋め立て地。工事中の八九年五月一日に地名が決まった。今ではマンションやショッピングセンターが並び、およそ五千人が住む。

 「元号が変わると、やっぱりさみしいね」。二〇〇三年に市内の別地区から引っ越し、地元の長寿会会長を務める内海雄三さん(74)が、平成最後の日を惜しむ。

 埋め立て地なので平たんで、市中心部にも近い。「買い物しやすく便利。知人から『いい所ね』と言われる。平成ブランド、というと言い過ぎかもしれないけど」と笑顔を見せる。

 時代の終わりにちなんだ大規模な催しはないが、雨の合間を縫って町内の海岸にある公園ではバーベキューを楽しむ人も。東京都多摩市の高校教諭鈴木直人さん(28)は「令和になったら、家庭を持ちたい」と話していた。 (梅野光春)

◆創立30周年「新たな未来へ」 台東区立平成小学校

 上野公園や浅草に近い東京都台東区の区立平成小学校は、平成2(1990)年に二つの学校が統合して新しく開校した。平成最後の日は10連休中だった。

 開校時に同校の4年生だった忍田裕嗣(おしだゆうじ)さん(38)=同区=は現在、特別支援学校で教諭を務めている。平成の間に就職し結婚、長男が生まれた。「人生の礎をつくった時代だった」と振り返る。

 一方で、世の中は不景気に見舞われ、大きな災害が相次いで起きた。「明るくはなかったけど、だからこそ、当たり前の日常がなくなることもあるんだという緊張感を持った30年でした」

 同校は12月、創立30周年の記念式典を予定する。小池木綿子(ゆうこ)校長は「新たな未来へつなげる学校づくりを進めていく」と話した。 (加藤健太)

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