東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社会 > 紙面から > 5月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【社会】

母思う円空 供養の作品か 岐阜の中観音堂 観音像の中から阿弥陀如来像

十一面観音像(奥)の開封に立ち会った浅野薫さん(左)と加藤奨さん=岐阜県羽島市の中観音堂で

写真

 生涯で十二万体の仏像を彫ったとされる江戸時代の僧・円空(一六三二〜九五年)。生誕の地と伝わる岐阜県羽島市の中観音堂で昨年末、本尊の十一面観音像の背面にある木ぶたを関係者らが初めて開封したところ、胎内から阿弥陀(あみだ)如来像などが見つかった。「母親思い」とされる円空が約三百五十年前、母の供養のために入れたとみられている。 (長崎高大)

観音像の中に入っていた阿弥陀如来像=円空上人遺跡顕彰会提供

写真

 十一面観音像は、円空が北海道、東北の旅を終えた四十歳ごろ、大洪水で非業の死を遂げた母親の鎮魂のため、三十三回忌に合わせて彫ったと伝わる。木曽ヒノキが使われ、高さ二百二十二センチ。右胸の背面に十センチ四方のくりぬきがあり、木ぶたでふさがれていた。

 長年、開封は厳禁とされ、中に何が入っているのかは地元でも謎だった。だが、観音像の制作時期を巡って昨年十一月に研究者から「円空が旅に出る前ではないか」と異論が出たのを機に、観音堂を管理する円空上人遺跡顕彰会(同市)が「何かヒントが見つかるのでは」と開封を決断した。

 発見されたのは、円空が彫ったとみられる阿弥陀如来像(高さ約五センチ)や、母親の形見と思われる鏡(直径約八センチ)。他に寛永通宝と大観通宝が各一枚、筆、水晶、舎利の代わりとみられる石、「圓(円)空」と書かれた起請文も、一緒に和紙にくるまれていた。

 開封に踏み切った顕彰会の元会長、加藤奨(すすむ)さん(73)は「開けた瞬間はやっぱりか、と思った。円空は大変な母親思いと伝わり、供養のための何かが入っていると考えていた」と語る。

写真

 円空仏の研究者らでつくる「円空学会」の顧問で、開封に立ち会った長谷川公茂さん(85)=愛知県一宮市=は「母親の供養のため、円空が入れたと考えるのが自然だ。形見の鏡を入れていることからも、十一面観音像に込めた思いの強さが伝わる」と指摘。制作時期は、定説の通りと見る。

 観音堂の運営は現在、三百円の入館料とわずかなグッズ販売が収入源で、近年は赤字が続く。顕彰会は今回見つかった阿弥陀如来像などの一般公開を六月、期間限定で予定している。顕彰会会長の浅野薫さん(71)は「開封により多くの人に関心を持ってもらうことも大事だ」と話す。

 十一面観音像は、岐阜県と羽島市の重要文化財にも指定。市生涯学習課の担当者は「信仰上は開けない方がいいのだろうが、学術上は開けないとわからないこともある」と指摘。阿弥陀如来像などが納められた時期の特定には、さらに詳細な検証が必要だと話している。

<円空> 「円空仏」と呼ばれる独特の木彫りの仏像を彫ったことで知られる。江戸時代の初期に各地を歩き、作品を残した。全国で約5300体の円空仏が見つかっており、うち愛知県で約3000体、岐阜県では約1000体。出生地は岐阜県羽島市のほか、同県郡上市など諸説ある。作風は初期は彫りが浅く、中期は荒々しくて力強い。後期は簡素化が目立つ。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報