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【社会】

安全 この先も問い続ける 信楽鉄道事故 遺族団体が来月解散

慰霊碑に献花し手を合わせる下村誠治さん=いずれも14日、滋賀県甲賀市で

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 鉄道事故の遺族らでつくる団体「鉄道安全推進会議(TASK)」が、メンバーの高齢化のため六月に解散する。四十二人が亡くなった一九九一年の信楽(しがらき)高原鉄道事故をきっかけに生まれた団体は、行政による事故原因の究明や調査に遺族の声を反映させるよう求め、行政も動かした。メンバーは「安全対策に終わりはない。遺志を引き継いで、問い続けていく」と話している。 (芳賀美幸、森田真奈子)

 滋賀県甲賀市信楽町の信楽鉄道事故の現場近くで十四日、犠牲者の追悼法要が営まれた。遺族ら約七十人が参列する中、TASK共同代表の下村誠治さん(60)は「TASKという名前は消えるが、思いを絶やすことのないよう、やるべきことをやっていく」と語った。

 TASKの設立は、信楽鉄道事故の二年後の一九九三年。当時は、当事者である鉄道会社や運輸省(当時)鉄道局が事故の調査を担う仕組みだった。運輸省の報告書はわずか十二ページ。「遺族の疑問に答えておらず、蚊帳の外に置かれている」と遺族や弁護団が立ち上がった。

 メンバーは、国内の鉄道事故現場を訪れて被害状況を聞き取るなど地道な活動を展開。国に第三者機関の設置を訴え続けた。二〇〇一年に「航空・鉄道事故調査委員会」(現・運輸安全委員会)が発足する原動力となった。

 TASKのメンバーは、群馬県の日航ジャンボ機墜落事故(一九八五年)や兵庫県の明石歩道橋事故(二〇〇一年)の遺族らとも連携。国に遺族への情報開示の拡充や被害者支援なども求めてきた。

 下村さんとTASKの接点も〇一年だった。下村さんは明石歩道橋事故で二歳の次男を亡くした約三カ月後、TASK初代会長の臼井和男さん=故人=らと出会い、活動に関わり始めた。

 一八年五月に前会長の吉崎俊三さんが八十四歳で亡くなった後、下村さんは共同代表に就任した。しかし、中心メンバーの他界や高齢化で活動は困難に。この日の法要でも参列した遺族は一人だった。会は六月二十三日に総会を開き、解散を正式決定する。

 「TASKがけん引役となって、事故調査のあり方が築かれていった。個人的にもメンバーとの交流が心の支えになった」。下村さんは活動を振り返る。「幅広い被害者のネットワークを築き上げてきた。今後も遺志を引き継ぎたい」。共同代表として担ってきた各地での講演などは今後も続けていく。

 事務局長の佐藤健宗弁護士(60)は「新しい技術がどんどん生まれていく中で、安全対策に終わりはない。今も公共交通を巡る事故はなくなっていない。事故調査のあり方も、問い続けていかなければ」と話す。

<信楽高原鉄道事故> 1991年5月14日、滋賀県信楽町(現甲賀市)で、第三セクター信楽高原鉄道(SKR)の列車と、JR西日本の臨時列車が単線上で正面衝突し、42人が死亡、600人以上が重軽傷を負った。SKRの当時の運転主任ら3人は業務上過失致死傷などの罪で執行猶予付き有罪判決を受けたが、JR西の運転士らは起訴されなかった。民事訴訟では、遺族への計約5億円の賠償を両社に命じた99年の大阪地裁判決が、2002年に二審で確定。11年5月、JR西が補償費用の負担増をSKRに求めた訴訟の判決が確定し、全ての訴訟が終結した。

犠牲者の冥福を祈って営まれた追悼法要

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