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【社会】

盆踊りパンク 原発で分断された故郷一つに 先月死去した遠藤ミチロウさん 

亡くなる1年ほど前、67歳で初めて故郷で歌った=2018年3月20日、福島県二本松市で

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 福島県二本松市出身のパンクロッカー、遠藤ミチロウさんが四月、六十八歳で亡くなった。一九八〇年代にバンド「ザ・スターリン」を率い、豚の臓物をぶちまけるなど、過激なステージを繰り広げた。東京電力福島第一原発事故の後は「盆踊りパンク」という新境地へ。そこには、原発事故後の暮らしぶりや賠償額の違いでぎくしゃくした、故郷の人々のつながりを取り戻したいという願いを込めていた。 (大野孝志)

東京電力福島第一原発事故の3年後、放射線量の高い帰還困難区域で、防護服にギターで歌う=2014年3月11日、福島県双葉町で

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 原発事故三年後の三月十一日、現状を知ろうと許可を得て、福島県双葉町の帰還困難区域に入った。防護服にアコースティックギターで「ワ〜オ!」と、ほえた。続けて「俺の原発ぅ、メルトダウ〜ン」。旋律の向こうに、故郷を放射能で汚された怒りが見えた。これでも聴きやがれ−。

 事故直後、復興支援の「プロジェクトFUKUSHIMA!」を、福島ゆかりのミュージシャンらと立ち上げ、音楽フェスを開催した。その後、福島の人たちの気持ちを新しい手法で表現しようと始めたのが、盆踊りパンクだった。

 きっかけは、同県浪江町の人たちと仮設住宅で開いた音楽祭。住民から「盆踊りをやってくんねぇか」と頼まれ、相馬盆唄をカセットテープで流した。「みんな黙々と踊るんですよ。事故前の日々を思い出していたんだろうなあ。胸が締め付けられたなあ」と、後に振り返っている。

 「賠償額の差とかで生まれた住民間の分断を埋めるのは民謡、盆踊り。暮らしに根差した音楽の力で、みんなと思いを共有したい」と願った。放射能汚染に向き合う、同県いわき市志田名(しだみょう)地区では、盆踊りを三十数年ぶりに復活させた。

 当時、既に膠原(こうげん)病を患い、つえを突いて会場に現れた。「紫外線を浴びるとヤバいんだ」と、暑い中を黒ずくめの長袖。だが、メークを施し、法被をはおると、住民らが工事用の足場で構えたやぐらに駆け上がり、踊りまくった。

 昨年の盆踊りは体調が悪く、欠席した。住民の大越キヨ子さん(70)は訃報に「今まで地元を盛り上げてくれた。今年は会えるかと思って、楽しみにしていたのに」。

 「父親の影響は強く、母親には息が詰まった。福島はコンプレックスだった」といい、故郷・二本松市で歌ったのは亡くなる一年ほど前の六十七歳、汚染の実態を訴える講演会が初めてだった。「恥ずかしくってさ〜」と何度も、はにかんだ。

 ステージを下りれば、温かい東北なまり。年下の記者にも、ですます調を崩さない。福島への支援を掲げながら商売に走る芸能人に対して、人知れず唇をかんだ。「本当に僕らを幸せにしたのか」と、原発と米軍基地に通じる疑問を抱き、沖縄でも曲を作り、歌った。

 双葉町の取材で出会い、被災地の実情を訴える本紙の社内向けの催しでも歌ってもらった。訃報は五月初め、改元を報じる紙面の片隅に、小さく載った。「令和だ五輪だと騒いでいるけど、おまえら何か大事なことを忘れてねぇか」。通信社から配信された舌を出した顔写真が、そう言っているように見えた。

 

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