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【社会】

旧渋沢邸、江東に「帰郷」 22年青森県から一般公開も計画

青森県六戸町から東京都江東区に移築される「旧渋沢邸」=清水建設提供

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 明治時代に現在の東京都江東区に建てられ、その後青森県六戸(ろくのへ)町に移築された実業家・渋沢栄一の邸宅「旧渋沢邸」が2022年、約700キロの距離を越えて帰郷する。造り手の後継に当たる大手ゼネコン「清水建設」が、同区潮見に建設する研究・研修施設の敷地内に移築し、一般公開も計画している。 (杉戸祐子)

渋沢栄一

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 同社などによると、旧渋沢邸は一八七八(明治十一)年、深川福住町(現・江東区永代)に建てられた。同社の二代当主で、文明開化期の代表的棟梁(とうりょう)だった二代清水喜助が手掛けた。地上二階建て、延べ床面積は千八十平方メートル。日本の伝統的な建築技術を用いつつ、ステンドグラスを施した玄関や、大理石の暖炉を備えた応接室のある洋館を増築し、和洋併せ持つ姿となった。当時の技術の粋を集めた近代住宅史上の貴重な遺産とされる。

 一九〇九年に三田綱町(現・港区三田)に移築。終戦後に財産税として物納され、共用会議所として使われた後、九一年、六戸町に移築された。老朽化して取り壊しの話が持ち上がり、渋沢家に執事・秘書として長年仕えた同町の観光会社社長(故人)が「忍びない」と国に陳情を重ね、払い下げを受けたためだ。そして二〇〇九年から昨年十二月まで、町の有形文化財に指定されていた。

 清水建設はいずれの移築も担っており、今年一月に所有権を取得した。担当者は「二代当主が当時の最先端の腕で造った邸宅。社のDNAを後世に伝える文化遺産として保存し、継承していきたい」と説明する。

 渋沢は二〇二四年度に刷新される紙幣のうち、一万円札の肖像画に採用され、あらためて注目されている。江東区とは邸宅のほか、一八八九年から十五年間、当時の深川区議や区議長を務めるなど縁が深く、山崎孝明区長は「区は関東大震災や東京大空襲で焼け野原になり、歴史的建造物が少ない。公開後は多くの人に見てもらえるようにPRしたい」と話している。

<渋沢栄一> 1840年、現在の埼玉県深谷市の農家に生まれ育つ。幕末に幕臣として仕え、明治維新後は新政府で働いた後、実業家に転身。73年に国内で初めて創設された商業銀行「第一国立銀行」をはじめ、約500の企業と約600の教育機関・社会公共事業の設立や経営に関わり、「日本資本主義の父」と呼ばれる。1931年、91歳で死去。

 

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