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【社会】

上皇さま琉歌 時代超え鎮魂 22日沖縄戦追悼前夜祭 今年も演奏

昨年の前夜祭で、上皇さまの琉歌を合同演奏する琉球古典音楽の各流派代表ら=沖縄平和祈念堂で

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 太平洋戦争末期の沖縄戦の全戦没者を追悼する式典前夜祭が二十二日夜、沖縄平和祈念堂(沖縄県糸満市)で開かれる。今年も犠牲者を悼んだ上皇さまの琉歌が琉球古典音楽(琉楽)の各流派代表によって合同演奏される。平成から令和に変わり昭和の戦争の記憶が薄れても、平和の祈りを込めた琉歌が時代を超えて犠牲者を鎮魂し続ける。 (阿部博行)

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 前夜祭は一九七九年に始まった。琉楽の人間国宝照喜名朝一(てるきなちょういち)さん(87)=写真=は、上皇さまの琉歌を「流派の垣根を越えて大切にしてきた。私たちの誇りです」と語る。

 三線(さんしん)を弾きながら琉歌を歌う琉楽は、湛水(たんすい)流、安冨祖(あふそ)流、野村流の三流五派に分かれる。照喜名さんは前夜祭立ち上げ時、主催者の沖縄協会から依頼され、各流派の調整役を果たした。

 上皇さまの琉歌は七五年、皇太子として沖縄を訪れた際、沖縄戦で家族全員が犠牲となり、弔う人もいない「全滅家族」の屋敷跡に心を痛めて詠まれた一首だった。翌年、県遺族連合会に贈られた。

 前夜祭の演奏曲に選ばれた経緯は定かではないが、照喜名さんは、沖縄学の第一人者で沖縄協会の評議員も務めた故外間守善(ほかましゅぜん)法政大教授に言及。「外間先生が『前夜祭にふさわしい』と推薦したようだ」と話す。

 外間教授は皇太子時代の上皇さまに沖縄の言語や文学を進講していた。自身は兵士として戦火を生き延びたが、兄と妹と多くの仲間を亡くした。

 前夜祭が始まった七〇年代の沖縄は、皇室に反感を抱く人も少なくなかった。ひめゆりの塔で皇太子(上皇)ご夫妻が火炎瓶を投げられる事件もあった。

 だが琉楽の世界では、長老らが戦前の皇民化教育を受けた世代とあって皇室への尊敬の念が強かったという。照喜名さんは「各流派は演奏方法が異なり、ライバル意識も激しくて一緒の舞台に立つことはあり得なかった。それが『皇太子の琉歌を演奏することは大変な名誉だ』と抵抗なく合同演奏が実現した」と振り返る。

 前夜祭は四十一回目を数え、今年も上皇さまの琉歌を古曲「瓦屋節(からやぶし)」の調べに乗せて歌う。

◆上皇さまの琉歌

 「ふさかいゆる木草(フサケユルキクサ) めくる戦跡(ミグルイクサアトゥ) くり返し返し(クリカイシガイシ) 思ひかけて(ウムイカキティ)」=夏の草木の繁茂する島、そこに残る戦跡を巡礼します。戦争で亡くなった人々に、くり返しくり返し思いをよせて(歌意は沖縄協会元会長小玉正任著「史料が語る琉球と沖縄」より)

 

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