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【社会】

<ハンセン病家族訴訟 引き裂かれた絆>(上)偏見と闘う勇気 娘くれた 家族の体験 弁論大会で堂々

娘の行動をきっかけに、偏見と闘うことを決意した原告の60代の男性=沖縄県内で

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 ハンセン病患者だった身重の母は、療養所のある島から父と共に船で脱走し、自分を産んだ。両親が患者であることを理由に差別され続けた沖縄県の六十代男性は、家族訴訟の原告に名を連ねる。「ハンセン病を知らないから怖がる。正しい知識を持ってほしい」。娘の行動をきっかけに、自身の体験を明かして偏見と闘うことを決意した。

 両親は名護市・屋我地(やがじ)島の国立療養所沖縄愛楽園で出会った。患者の不妊手術や堕胎が当たり前だった当時。身ごもった母は、父と島を抜け出した。

 父は二年後に再収容され、間もなく死亡。男性は母の故郷の離島で祖母に育てられ、母は病を隠して沖縄本島へ出稼ぎに行った。

 誰も一緒に遊ぼうとしなかった小学校時代。本島にある父の実家を訪れた時、自分と母の食器だけは煮沸消毒された。高校生の時には、義理の叔母と口論し「居候のくせに」とののしられて家を飛び出した。「このまま死んでしまおうか」。海に飛び込んだが、死にきれなかった。

 患者家族の会合に参加すると明かすと「うつる」と陰口をたたかれ、辞めた職場。結婚から二十年以上たつのに、会うこともできない妻の父親。一人悔し涙を流した経験は数知れない。そんな男性を変えたのは、数年前、娘が県の高校弁論大会でハンセン病についてスピーチし、優勝したことだった。

 祖父母の出会いと父の誕生、患者への差別−。人前で堂々と訴えた娘の姿に感動し、体が打ち震えた。「自分も声を出さなければ」。それからは、さまざまな機会に自分の体験を語るようになった。

 家族が差別されることを考えると今も恐ろしいという。それでも、真実を伝え続けようと思う。「ハンセン病について話題にすることすらタブーだった。判決が、偏見や誤解を解くきっかけになってほしい」

◆家族の集団国賠訴訟 28日に熊本地裁判決

 ハンセン病元患者の家族が国に損害賠償を求めた集団訴訟の判決が二十八日、熊本地裁で言い渡される。強制隔離政策で家族との絆を引き裂かれ、厳しい差別に苦しんだ人たち。判決を前に、胸の内を明かした。

 

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