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【社会】

<ハンセン病家族訴訟 引き裂かれた絆>(中)訴訟参加を見送った男性 父と姉の病「隠し通す」

父と姉がハンセン病患者で、差別を受けた経験を語る梅沢寿彦さん(仮名)=宮崎県内で

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 ハンセン病家族訴訟の原告には全国の五百六十一人が名を連ねるが、隠し通した事実を知られることを恐れ、裁判に加われなかった人は少なくない。「父と姉のことは、墓場まで持って行く」。訴訟への参加を見送った宮崎県の梅沢寿彦さん(70)=仮名=は、やり場のない思いを抱き続ける。

 父と姉が発症し、母子家庭で貧しい暮らし。それでも、二人が入所した国立療養所星塚敬愛園(鹿児島県鹿屋市)を毎年訪ね、家族の時間を大切にした。それを知った近所の人は鼻をつまみ、家の前を息を止めて通るようになった。

 同級生にも二人のことは話さなかった。しかし、高校三年の秋、地元の自動車販売会社の採用試験で問われた。「お父さんが鹿屋にいるね」。身元調査したな、親がハンセン病で何が悪い−。怒りを押し殺し正直に答えた。「一緒に風呂に入り、ご飯も食べました」。面接官は後ずさりし、打ち切りに。事態を知った進路指導教員が告げたのは「学校に来るな」。担任には「卒業はさせてやる。就職は諦めろ」と言われた。

 重い秘密を抱え、それから約五十年。自分も家族訴訟に参加しようと思ったが、できなかった。「名前は絶対に明かせない。妻や子どもが差別されることだけは避けたい」

 自身の体験から、裁判で国に勝つだけでは問題の根本解決にならないと感じる。「医学界は隔離の必要がない患者を黙殺した。教育界は偏見に苦しむ患者の子どもを助けなかった。法曹界とマスコミは基本的人権の侵害を放置した」。願うのは、社会全体の反省だ。

 父と姉が亡くなった今も、毎年敬愛園を訪れる。故郷に帰れない元患者を悼み、納骨堂に手を合わせる。「家族がハンセン病患者だったと堂々と言える世の中になれば」。今回の判決がその一歩になってほしい。原告にはならなくとも、思いはそばにある。

 

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