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【社会】

「一つの幕が開く時」 ハンセン病家族、苦悩語り続ける

記者会見するハンセン病家族訴訟原告団の黄光男副団長=12日午前、東京・永田町の衆院第1議員会館で

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 「深く反省し、心からおわびする」。菅義偉(すがよしひで)官房長官は十二日、安倍晋三首相談話を発表した。国によるハンセン病元患者の隔離政策で、差別や偏見にさらされてきた家族。「一つの幕が開く時が来た」。絆を断たれ、苦悩の日々を送ってきた原告団からは歓迎の声が上がった。一方で「戦後も正面から取り上げてこなかった」と国に対する厳しい指摘も。救済に向けた歩みは始まったばかりだ。 

 血のつながった母を、他人としか思えなかった。ハンセン病患者だった家族と、物心がつく前に引き離された黄光男さん(63)。親への甘え方も知らず、むなしさに押しつぶされそうな日もあった。「多くの家族が自分の人生を正面から語れるようになれば」と、実名を明かした裁判。闘いの節目となった首相談話公表に胸をなで下ろした一方「感情が伝わらなかった」と残念がった。

 母と下の姉が岡山県瀬戸内市の国立療養所「長島愛生園」に収容されたのは、黄さんが一歳の頃。「離さん」。別れの日、岡山駅で母は、職員が引き剥がそうとする自分を強く抱き締め、泣き叫んだのだと聞いた。

 翌年、父と上の姉も入所し、自身は児童養護施設で過ごした。小学三年生になって、退所した家族と兵庫県尼崎市で一緒に暮らし始めた。初めて会う「家族」。母はとても優しく、愛情を傾けてくれた。それでも「親」という感覚は分からなかった。

 黄さんが四十代半ばを過ぎた二〇〇三年、母が自宅マンションから飛び降りた。冷たくなった母と対面したが、涙は出なかった。感情が湧かない。「当たり前の親子関係を築けなかった」。虚無感が押し寄せ、目の前が真っ暗になった。

 その後、元患者の家族らが集う「れんげ草の会」に入り、自分と同じような家族の存在を知った。「隠していると差別の方から近づいてくる。堂々としていれば、差別は逃げていく」。後に家族訴訟の原告団長となる林力さん(94)の言葉に胸を突かれた。「自分はハンセン病から逃げてきた。語らなければ家族の被害はなかったことになる」。原告副団長を引き受け、名前を明かそうと決意した。

 十二日の首相談話で、家族が補償を受けられる見通しとなったこと自体は「良かった」と受け止めた黄さんは、これまで各地でハンセン病元患者の家族の苦悩を伝えてきた。集会ではギターの響きに乗せ自作の曲を歌い上げる。詞はこうだ。「人を犠牲にしなければならない国があるとしたら、それは人を人として認めない国でしかないだろう」

◆「おわび」は評価

<ハンセン病の問題を研究する東北学院大の黒坂愛衣准教授の話> 首相談話に「反省」「おわび」の言葉が入ったことは評価したい。談話では元患者家族と直接会うことも表明した。安倍晋三首相はしっかり耳を傾け、差別被害の深刻さに思いを致してほしい。ハンセン病患者の家族であることを隠さざるを得ない苦しみは現在進行形だ。私たちには元患者や家族の声を受け止め、差別のない社会をつくっていく責任がある。社会構造としての差別は決して過去のものではない。根強い偏見と差別が存在してきた社会を見つめ直すスタートラインに今ようやく立ったと言える。

◆枠組み作り急げ

<右崎正博独協大名誉教授(憲法学)の話> 隔離政策を廃止せず、差別や偏見を助長してきたことの違法性は以前からはっきりしていた。元患者の家族が苦痛を受けてきたのも明らかで、国は判決を待つことなく和解するなど、もっと早く対応すべきだった。訴訟を争って長引かせた姿勢について、首相談話は触れていない。政府は今後、自らの責任で法案を用意し、補償の枠組み作りを急ぐべきだ。損害の程度や内容は人によって差があり得るため、きめ細かな対応を検討する必要がある。

 

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