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【社会】

三鷹事件70年「語り継ぐ会」 米兵・警官に救出阻まれ 目撃者「どうみても臭い」

70年前の三鷹事件当時、三鷹駅のホームにいて目撃した様子を語る堀越作治さん(右)=15日、東京都三鷹市で

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 旧国鉄三鷹駅で無人の電車が暴走し、六人が死亡した一九四九年の「三鷹事件」から七十年となった十五日、東京都三鷹市内で市民グループ「三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会」の集会が開かれた。代表世話人の一人で、当時学生で事件に偶然、遭遇した元新聞記者の堀越作治さん(89)=世田谷区=が現場の様子を語った。

 「七十年前の今日の午後九時十五分。夏時間(サマータイム)だったので、今で言えば八時十五分に目の前で事件が起きた」と振り返る堀越さん。当時は一橋大生で東京都小平市に住んでおり、友人を新宿に送った帰りに三鷹駅近くのラーメン店に寄るため、二番線ホームに降りた。

 「ホームの目の前に引き込み線があり、空っぽの電車が入ってきた。あれ、と思ったらスピードが落ちない。ガラガラ、ガターンという大音響とともに悲鳴が聞こえ、砂ぼこりが舞った。車止めのコンクリートの壁が粉々になり、どうにも手のつけようがない。人の体が動くのが見え『みんなで救おう』と、ひしゃげた連結器を飛び越え、下へ降りた。車輪の下に人はいないかと(探したら)、体に手が触れた。なま温かさにブルブルと震えた」

 間もなく警官と米軍のMP(憲兵)がやってきて「早いな」と不思議に思った。片言の英語で「レスキューだ」と伝えたが、「ノーノー、ゲラウェイ(立ち去れ)」「アウト」と追い出されたという。

 堀越さんは大学卒業後、朝日新聞記者となり、政治部で岸信介、佐藤栄作両元首相らを担当した。事件の単独犯とされた元運転士の竹内景助元死刑囚は無実を訴えながら病死し、長男が東京高裁に再審請求中だが、堀越さんは「当時の吉田茂政権は、日本共産党の仕業と決めてかかっていた」と指摘。「今もMPに追い払われたことが、頭を去らない。どうみても臭い」。米軍や政権の思惑が事件に関連していたのではないかと考え、今も資料収集を続けている。 (花井勝規)

<三鷹事件> 1949年7月15日夜、旧国鉄三鷹駅の車庫から無人電車が暴走し26人が死傷。捜査当局は、国鉄の人員整理に反対する共産党の組織的犯行とし、国鉄組合員ら10人を逮捕。50年の東京地裁判決は、検察側が主張する共同謀議を「実体のない空中楼閣」と退け、共産党員9人を無罪とする一方、非党員の竹内元死刑囚の単独犯として無期懲役を言い渡した。控訴審で死刑、最高裁も死刑を維持した。事件当時は中国の内戦で中国共産党の勝利が決定的となり、日本でも共産党の勢力が伸びていた時期で、共産党の弱体化を狙った連合国軍総司令部(GHQ)が関与した説もある。

 

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