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【社会】

<くらしデモクラシー>日中戦争写真展、後援せず 文京区教委「いろいろ見解ある」

揚子江岸に散乱する死体を写した村瀬守保さんの写真を説明する矢崎光晴さん=台東区で

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 日中戦争で中国大陸を転戦した兵士が撮影した写真を展示する「平和を願う文京・戦争展」の後援申請を、東京都文京区教育委員会が「いろいろ見解があり、中立を保つため」として、承認しなかったことが分かった。日中友好協会文京支部主催で、展示には慰安婦や南京大虐殺の写真もある。同協会は「政治的意図はない」とし、戦争加害に向き合うことに消極的な行政の姿勢を憂慮している。 (中村真暁)

 同展は、文京区の施設「文京シビックセンター」(春日一)で八〜十日に開かれる。文京区出身の故・村瀬守保(もりやす)さん(一九〇九〜八八年)が中国大陸で撮影した写真五十枚を展示。南京攻略戦直後の死体の山やトラックで運ばれる移動中の慰安婦たちも写っている。

村瀬守保さん=日中友好協会提供

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 同支部は五月三十一日に後援を区教委に申請。実施要項には「戦場の狂気が人間を野獣に変えてしまう」との村瀬さんの言葉を紹介。「日本兵たちの『人間的な日常』と南京虐殺、『慰安所』、日常的な加害行為などを克明に記録した写真」としている。

 区教委教育総務課によると、六月十四日、七月十一日の区教委の定例会で後援を審議。委員からは「公平中立な立場の教育委員会が承認するのはいかがか」「反対の立場の申請があれば、後援しないといけなくなる」などの声があり、教育長を除く委員四人が承認しないとの意見を表明した。

 日中友好協会文京支部には七月十二日に区教委が口頭で伝えた。支部長で元都議の小竹紘子さん(77)は「慰安婦の問題などに関わりたくないのだろうが、歴史的事実が忘れられないか心配だ。納得できない」と話している。

 日中友好協会(東京都台東区)などによると、村瀬さんは兵たん自動車第十七中隊に配属され、一九三七年から二年間半、中国大陸を転戦。持参したカメラで部隊の様子を撮影していた。写真を渡された隊員たちは内地の家族に送っていたため、撮影は半ば公認されるようになった。死去後、家族が協会に約八百枚の写真を寄贈。パネル化され、四年ほど前から全国の戦争展などに貸し出され、延べ約八十回展示された。

 村瀬さんの写真が中心の企画もあり、二〇一五年開催の埼玉県川越市での写真展は、村瀬さんが生前暮らした川越市が後援。協会によると、不承認は文京区の他に確認できていないという。

 一方、〇五年には、埼玉県平和資料館が、常設展示していた昭和史年表にある村瀬さんの写真や、「南京大虐殺」などとした表記を白い紙で覆い隠し、議論になった。同資料館での写真展示は〇七年、「南京占領から二週間ほど後の揚子江岸付近」とキャプションを付けて再開されたが、説明書きは「南京事件・南京大虐殺」などと修正された。一三年の同館リニューアル後は写真の展示自体がなくなった。

 協会事務局長の矢崎光晴さん(60)は、今回の後援不承認について「承認されないおそれから、主催者側が後援申請を自粛する傾向もあり、文京区だけの問題ではない」と話す。「このままでは歴史の事実に背を向けてしまう。侵略戦争の事実を受け止めなければ、戦争の歯止めにならないと思うが、戦争加害を取り上げることに、行政は年々後ろ向きになっている」と懸念を示した。

<南京大虐殺(南京事件)> 旧日本軍が1937(昭和12)年12月ごろ、中国国民政府の首都南京を陥落させ、中国軍の敗残兵や捕虜、一般市民を南京城内外で殺傷し、暴行したとされる事件。日本政府は「非戦闘員の殺害や略奪行為などがあったことは否定できない」とする一方、人数には言及していない。事件の規模や虐殺の定義、戦時国際法違反だったかを巡り論争が続いている。

村瀬さんが撮影した、トラックで運ばれる慰安婦=日中友好協会提供

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