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【社会】

戦後最大の冤罪 福島・松川事件70年 元被告「自白頼み脱却を」

1949年8月、東北線の金谷川−松川間で起きた列車転覆現場

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 福島市松川町で起きた列車転覆を巡り、被告二十人全員が最終的に無罪となった戦後最大の冤罪(えんざい)事件といわれる松川事件が十七日で七十年を迎えた。無罪確定まで十四年間の法廷闘争を経験した阿部市次(いちじ)さん(95)=福島市=は「検察や裁判官が自白を『証拠の王』とする限り、冤罪はなくならない」と自白に依存した捜査からの脱却を訴えた。

 一九四九年八月十七日未明、東北線の線路が外され列車が転覆し、乗務員三人が死亡した。一人の「自白」をきっかけに国鉄の組合員ら計二十人が逮捕され、福島地裁は全員に死刑を含む有罪判決を下した。その後、事件の謀議を行ったとされる同時刻帯に被告が団体交渉に参加していたことを示す会議メモを検察が隠蔽(いんぺい)していたことが判明。アリバイが証明され、六一年に仙台高裁差し戻し審で全員無罪となった。

 一審判決後、公正な裁判を求める運動が全国に拡大。市民の力が冤罪救済に寄与した先駆的な事例となった。

 「無実と知りながら時の権力に迎合して(司法が)有罪を求めることの不当さ」を世に伝えることこそが、今も事件を語る意義だと、七十年を迎えるに当たり公表した談話で阿部さんは記した。

 二十人で存命するのは阿部さんともう一人だけ。阿部さんはこれまで冤罪がもたらす被害を訴えるため、講演会などで獄中での思いを語ってきた。

 事件の約一カ月後に連行された阿部さんは「何もやっていない」と聴取や公判で繰り返したが、一審判決は死刑。刑務所から週刊誌に冤罪を訴える手紙を送っても、大部分がそのまま戻ってきた。「世間は私たちが犯人だと信じている」と悲しみが募ったという。「大事な青壮年期を奪われた」。阿部さんは談話で悔しさをにじませた。

阿部市次さん

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◆世界記憶遺産に再申請へ 支援運動 社会に影響

 事件では一審の有罪判決が出た後、公正な裁判を求める署名運動が全国に広がり、その後の冤罪事件の支援運動に影響を与えた。同事件の資料室を設けている福島大(福島市)などが裁判記録の保存や収集活動を継続。福島大や関係者は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)への資料の登録を目指している。

 資料室は獄中の被告と支援者らの往復書簡など約十万点を保管。室長を務める初沢敏生(としお)教授(57)は八月上旬「当時の紙は酸性が強く、劣化が進んでいる」と、黄ばんだはがきを手にしながら説明した。

 資料室は今年から保存体制を強化し、劣化防止のための処理を業者に依頼。被告のアリバイを証明し、無罪判決を獲得する鍵となった会議メモも傷みがひどく、優先的に処理した。だが予算に限りがあり、全てに同様の手当てをするのは難しい。

 資料収集に協力してきたNPO法人「福島県松川運動記念会」は昨年、福島地検が保管する事件の記録を閲覧し、供述調書などを写真に収めた。吉田吉光事務局長(72)は「再発防止の観点から、専門家に分析してもらう必要がある」と話す。

 福島大は記念会などと連携し、二〇一七年にユネスコの国内委員会に記憶遺産登録に向けた申請をしたが、推薦は見送られた。記憶遺産の新規審査は二〇年以降となる見通しで再申請する意向だ。

 吉田さんは、松川事件が「(無実の)被告を守る組織をつくり、真実を多くの人に知らせるのが大切だと証明した」として、資料の貴重さを訴えている。

<松川事件> 「下山事件」「三鷹事件」と並び、連合国軍総司令部(GHQ)占領下の1949年夏に起きた国鉄に絡む三大事件の一つ。GHQや政府が推進する人員整理を巡り、国鉄と労働組合の間で緊張が高まる中、国労と東芝労組の組合員計20人が汽車転覆致死などの容疑で逮捕、起訴された。当時、東芝でも労働争議があった。福島地裁は50年、5人の死刑判決を含め全員有罪とした。その後、被告を支援する「松川運動」が広がり、61年の仙台高裁差し戻し審で全員に無罪が言い渡され、63年に最高裁で確定した。

 

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