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【社会】

兵士と捕虜 ラグビーの絆 映画プロデューサーが小説

小説を手に「人を信じることの素晴らしさを伝えたい」と語る増田久雄さん=長野県大町市で

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 戦時下に、日本兵とオーストラリア軍の捕虜がラグビーを通じて交流する−。そんな小説「栄光へのノーサイド」(河出書房新社)を、映画プロデューサーの増田久雄さん(72)が出版した。日系二世の豪州ラグビー選手が旧日本軍の捕虜になった実話から話を膨らませた。九月二十日からラグビー・ワールドカップ(W杯)が日本で初めて開かれるのを前に、「人が人を信じることの素晴らしさを伝えられれば」と願っている。 (林啓太)

 小説の中で、日系のラグビー選手ウィンストン・イデは一九三九(昭和十四)年、英国遠征する豪州代表(ワラビーズ)に選ばれる。第二次世界大戦の勃発で大会は中止となり、失意の中で同国軍に入隊。マレー半島で日本軍に投降し、ボルネオ島の捕虜収容所に送られた。

 劣悪な待遇は所長が代わると改善された。学生時代に全日本ラグビー軍の一員だった新しい所長は、日本兵と捕虜の混成二チームが競う大会を開き、イデも出場した。日豪兵士らがぶつかり、ボールを追う先に見たものとは−。

 増田さんは石原プロモーションを経て独立し「ラヂオの時間」(三谷幸喜監督)などを手掛けた。今回、描いたイデのモデルは、「ブロウ」のあだ名で親しまれた同姓同名のラグビー豪州代表選手。捕虜としてタイとビルマ(現ミャンマー)を結ぶ泰緬(たいめん)鉄道の建設に従事した。四四年に輸送船で日本に送られる途中、米潜水艦の魚雷を受けて船が沈み、生死は不明。二十九歳だった。出征後の経歴で主に分かっているのは、このくらいしかない。

 増田さんは当初は小説ではなく、脚本として十数年前に執筆していた。「日豪兵士の混成チームが交流するなど創作の話も組み込めばドラマチック」と考えた。イデとガールフレンドとの悲恋のくだりなども肉付けした。

ウィンストン・イデ=英国の世界ラグビー博物館(World Rugby Museum, Twickenham)提供

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 「日本だけで話題になる作品にしたくない」。米ハリウッドの映画業界の知人を介して映画化を模索し、国内でラグビーへの関心が高まるW杯前の公開を目指した。しかし、巨額の製作費を調達できなかった。「せめて小説で筋書きを紹介できれば」と、脚本を基に一年ほど前から筆を運んできた。

 ラグビーW杯では日本や豪州の代表をはじめ各国のラガーマンがぶつかり合う。「ラグビーは激しく競っても最後はノーサイド(両軍の区別がなくなる)となる。戦争はよくないという精神にも通じるのでは」。増田さんはイデの生き方に迫る意味を強調した。

 

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