東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社会 > 紙面から > 9月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【社会】

北海道地震1年 厚真町で追悼式 厚真の中村さん、地元で再起誓う

同居する母ミヨさんを亡くした自宅跡を見つめる中村忠雄さん=8月15日、北海道厚真町で

写真

 昨年九月六日の北海道地震で最大震度7を観測し、土砂崩れなどで三十七人が犠牲になった厚真(あつま)町で七日、発生から一年となったことを受け町主催の追悼式を開催、遺族や町民が犠牲者を悼んで黙とうをささげた。

 十九人が犠牲になった吉野地区で父清さん=当時(81)=と母艶子さん=当時(80)=を亡くした農業早坂信一さん(54)が「あれから一年がたち、多くの方々の支援のおかげで今の自分がいます。突然に家族や友人を失った事実を簡単には受け入れられません」と述べた。清さんは長年にわたり地元農協で理事を務めたコメ農家。艶子さんも農協婦人部で町の特産みそ「おふくろみそ」の開発に携わった。艶子さんの食事を作っていた信一さんは、地震後にスーパーで「これはもう買わなくていいんだ」と一人涙を流しながら買い物をしたと語った。

 町では五日時点で住宅五百六十二棟が全半壊し、百二十六世帯二百九十人が仮設住宅で暮らす。

◆夢の中の母が押す背中

 昨年九月の北海道地震の土砂崩れで同居の母ミヨさん=当時(76)=を亡くした厚真町の中村忠雄さん(57)は、一年が過ぎた今も毎月自宅跡を訪れ、母をしのんでいる。時折、夢に現れるのは黙々と畑仕事にいそしむ母の後ろ姿。「死んでも変わんねえな」。突然の別れに気持ちの整理がつかなかったが、夢で見る母に背中を押され、日常を取り戻そうと少しずつ進む。

 住み慣れた幌里地区の自宅は土砂にのみ込まれて全壊になり、今年六月に解体された。十年以上前に亡くなった父は病気がちで、介護施設で働く母が中村さんを含む五人の子どもを育て上げた。退職後は畑仕事に熱中。夜明け前からほっかむり姿でいじっていた畑は土砂に埋まり、跡形もない。出てきた遺品は全て、妹宅に託した。「いずれ引っ越すし、がちゃがちゃするのは嫌かなって」

 葬儀で涙は出なかった。悲しみに暮れる間もなく、苫小牧市の自動車整備工場での仕事に復帰した。だが洗車中に突然、涙が止まらなくなることがあった。そのころ夢に出るミヨさんには「ちゃんとしろ」とどやされた。「放任だったけど、時々感情的になるんだよな」。厳しい母の表情がよみがえった。

 昨年末から郵便局のアルバイトを増やし、仕事に打ち込んだ。「一年って早いな」と中村さん。なじんできた仮設住宅では退去する人がぽつりぽつりと出始めた。建設が予定されている災害公営住宅は戸数が限られ、町内の民間物件は賃料が高い。町外に出ることも頭をよぎるが「厚真じゃないと休まらない」。十年ほど前に戻ってきた地元は不思議と居心地が良かった。仮設住宅の入居期限が切れるまでまだ時間はある。焦らずじっくり「おふくろ」と過ごした町で家探しをするつもりだ。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報