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【社会】

捕鯨の町 震災復興へ一歩 石巻・鮎川地区 2年遅れ 観光施設完成

自慢のクジラユッケ丼を差し出す「黄金寿司」店主の古内勝治さん

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 日本有数の捕鯨基地として栄え、東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた宮城県石巻市鮎川地区が活気づいている。七月に商業捕鯨が三十一年ぶりに再開され、観光施設の完成も控える。東日本大震災から十一日で八年半。本格復興への機運が高まる牡鹿半島南端の町を訪れた。

 市中心部から曲がりくねった道を車で約一時間。鮎川港に弓なりの曲線を描く全長約百十メートルの黒い屋根が見えた。観光拠点「ホエールタウンおしか」の中核を担う複合施設だ。クジラの姿を模した施設は三区画に分かれ、飲食店などが入る観光物産館と、催しなどに使えるビジターセンターが十月にオープン。残る一区画には来年四月、津波で流された博物館「おしかホエールランド」が再建される。施設を運営する鮎川まちづくり協会の斎藤富嗣(とみじ)代表理事(59)は「これからが本番です」と力を込めた。

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 捕鯨基地として百年以上の歴史があるこの町で生まれ育った。小学生だった一九六〇年代は「五百トン級の船が次々と入港し、一度に十頭が水揚げされることもあった」と振り返る。港には加工場が軒を連ね、鯨肉を煮るにおいで満ちていたという。

 世界的な反捕鯨の動きを背景に、八八年、日本が商業捕鯨から撤退すると鮎川地区は衰退した。観光産業への転換を目指し、九〇年に旧ホエールランドが開所。加工場跡地にはクジラ料理店や土産店が出店したが、今度は津波が襲った。

 震災直前の二〇一一年二月末、地区の人口は千四百二人だったが、今年七月末には七百七十三人とほぼ半減。市中心部に比べて復旧が遅く、ホエールタウンの開所も約二年遅れ。商売の再開を目指したが、待ちきれずに廃業や移転をした人もいる。

 困難は多いが「これから鮎川はいい方向に変わる」と期待するのは地元捕鯨会社「鮎川捕鯨」の菊田憲男執行役員(65)。七月には、事務所の隣にクジラのベーコンなどの直売所を開いた。鯨肉は一般家庭にとってなじみが薄くなっており「身近に感じてもらう工夫をしないと」と意気込む。インターネット販売も計画中で「新しいことに挑戦し、観光客で町がにぎわえば、住民も戻るかも」と声は明るい。

 港から数百メートル内陸の仮設商店街「おしかのれん街」にある「黄金寿司(こがねずし)」はホエールタウンに移転予定だ。七二年の創業以来、クジラ料理を提供する店主古内勝治さん(75)は「ここまで復興すると思わなかった」とつぶやく。津波で全壊後、八カ月で再開し、住民が減った分、出前の距離をのばして踏ん張ってきた。

 今後はテナント料がかかるため昼に加えて夜も営業するつもりだ。「ここで生きていくなら、それくらい努力しなきゃな」。力強い言葉に、復興が進んだ町の未来を想像した。

鮎川港にあるクジラのモニュメント=宮城県石巻市鮎川地区で

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