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【社会】

東電旧経営陣あす判決 犠牲者の苦しみに報いて 原発事故避難で両親亡くした女性

避難経路を伝える地元紙を見ながら両親の苦しみを思う女性=福島県広野町で

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 東京電力福島第一原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電の勝俣恒久元会長(79)ら旧経営陣三被告の判決が、十九日に東京地裁で言い渡される。原発事故の刑事責任が認められるか否か、息をのんで見守るのは、事故後の避難で両親を失った福島県広野町の女性(66)だ。「裁判所は、亡くなった犠牲者と遺族の苦しみに報いる判決を言い渡してほしい」と願う。 (小野沢健太)

 二〇一一年三月当時、女性の父親=当時(92)=と母親=同(88)=は、原発から約四・五キロの老人介護施設「ドーヴィル双葉」(同県大熊町)に入所していた。

 あの日、高台の職場で地震に遭った女性が、大急ぎで大熊町の自宅に戻ろうとすると、巨大な黒い津波が自宅に迫ってきていた。女性は慌てて避難し、病院に連絡を取ろうとしたが、電話はつながらない。認知症の両親が心配だったが「きっと安全に避難させてくれているはずだ」と信じた。

 県を通じて二人の死が知らされたのは、震災の十一日後。遺体安置所で対面した両親は安らかな顔をしていたが、立ち会った警察官は「汚れていたところはきれいにしておきました」。最期はひどい状況だったかと思うと、悔しさで体の震えが止まらなかった。

 ドーヴィル双葉と系列の双葉病院には震災当時、計四百三十六人が入所・入院していた。全員の避難までに五日かかり、衰弱するなどした四十四人が死亡。勝俣元会長ら三人は、避難を余儀なくさせて死亡させたとして起訴されている。

 女性の両親は、施設に三日間置き去りにされた後、バスで二百三十キロもの移動を強いられ、同県いわき市の避難所で息を引き取った。

 女性は「どうして両親が死ななければならなかったのか知りたい」と十回以上、東京地裁で公判を傍聴した。しかし旧経営陣の三人は「聞いてない」「記憶にない」などと繰り返すばかり。女性は「あれほどの事故を起こしながら人ごとのよう。何らかの対策を取っていれば事故は防げた」と唇をかむ。

 女性は十九日の判決公判も傍聴に行くつもりだ。「原発事故は明らかに人災。誰も責任を取らないことが許されるのか」。三人が事故の責任をどのように自覚しているのか、判決が言い渡されたときの表情から見定めたいと思っている。

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