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【社会】

大津波の記憶 次世代へ 陸前高田に伝承館

開業した東日本大震災津波伝承館。被災した橋桁の一部や消防車などが展示されている=22日、岩手県陸前高田市で

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 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市で二十二日、整備が進む高田松原津波復興祈念公園に東日本大震災津波伝承館(愛称・いわてTSUNAMIメモリアル)と、国営追悼・祈念施設がオープンした。岩手、宮城、福島各県に国が一カ所ずつ整備する追悼施設が利用可能となるのは初めてで、震災被害や教訓発信の拠点となることが期待される。

 伝承館の展示テーマは「命を守り、海と大地と共に生きる」。脅威を伝えるため岩手の沿岸十二市町村を襲った津波の映像を流すシアターや、被災した消防車両なども展示する。当時の救助活動や行政機関の反省点も教訓として紹介する。

 国営施設は一部が完成。慰霊の場が整備され震災遺構・奇跡の一本松も含まれる。園内に道の駅高田松原も開業した。津波に襲われた場所にあるため避難経路を定めた他、高台に逃げるよう促すハナミズキ約百四十本を植えた市道もある。

 達増拓也岩手県知事や高円宮妃久子さまらが出席し開業式典を実施。自宅で被災した陸前高田市のパート三浦直子さん(50)は「津波の映像を大画面で見ると、自分がそこにいるようだった。震災を知らない人には怖さを伝える迫力がある」と話した。

◆「高台へ」ハナミズキが道しるべ

避難経路の目印として植えられたハナミズキの前で取材に応じる浅沼ミキ子さん=10日、いずれも岩手県陸前高田市で

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 東日本大震災の津波で壊滅的被害を受けた岩手県陸前高田市は悲劇を繰り返さないようにと、避難経路の目印として約百四十本のハナミズキを植えている。津波で亡くなった息子が母に託した「みんなを高台へ導いて」との“思い”や、約一万筆の署名を集めた遺族らの働き掛けで実現した。 

 高田松原津波復興祈念公園にある震災遺構・旧道の駅高田松原「タピック45」で勤務していた浅沼ミキ子さん(56)は市役所にいる時、震災に見舞われた。市臨時職員だった長男健さん=当時(25)=は、高校生らを車に乗せ指定避難所の市民会館に避難させていた。

 浅沼さんが身ぶり手ぶりで「高台に行くね」と健さんに告げると右手で敬礼し、にっこり笑ったのが最後の姿に。会館は津波に襲われ百三十〜百七十人(市推計)が亡くなった。

 十日後、ようやく健さんの遺体に会えた。「何で一緒に高台へ逃げようと言えなかったのか」。自分を責めた。

 葬儀の数日後、夜中に袖を引っ張られたように感じ振り向くと、健さんが。「みんなを高台へ導くよう、避難路に沿ってハナミズキを植えてほしい」と言われたという。

 他の遺族らと「陸前高田『ハナミズキのみち』の会」を設立。全国から集まった署名の提出を受け、市が整備に乗り出した。祈念公園の約五百メートル東から内陸の高台に向かう約二キロの市道沿いに、白やピンクのハナミズキが植えられた。秋にはさらに約二十本を植樹する予定だ。

 浅沼さんは「ハナミズキの花言葉は『私の思いを受けてください』。思いは健に伝わっていると思う」と目を潤ませた。

東日本大震災津波伝承館などが入る建物。右奥は震災遺構・旧道の駅高田松原=22日午後

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