東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社会 > 紙面から > 9月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【社会】

御嶽山5年 息子の最期知りたい 噴火直後 寒がる少女にジャケット

近江屋洋さん

写真

 死者五十八人、行方不明者五人を出した御嶽山(長野・岐阜県境、三、〇六七メートル)の噴火から二十七日で五年。犠牲となった横浜市中区の近江屋(おうみや)洋さん=当時(26)、写真=は、避難した岩場で寒がる女の子に自分の登山ジャケットを渡していた。だが、亡くなる直前の行動は詳細が分からないまま。同市に住む両親は「息子の最期を知りたい」と願い続けている。 (安永陽祐)

 洋さんは噴火当日、会社の同僚八人と御嶽山に登った。山頂付近を一人で散策していた最中に噴火に遭遇した。身を隠した岩場で居合わせた愛知県豊田市の小学五年長山照利(あかり)さん=当時(11)=にジャケットを渡していた様子は、その場を共にした生還者の女性の証言で明らかにされた。

 洋さんも長山さんも噴火から数日後、岩場から数百メートル離れた別々の場所で遺体で見つかった。「息子はよくやったと思う。でも、美談で終わるにはちゃんと帰ってこないとだめなんだよ」。噴火から約一カ月後、長野県警から自宅に届けられた穴あきのジャケットを見つめながら、父勇蔵さん(70)はうつむく。「いつまで生きていたのか、なぜ岩場からばらばらで避難したのか、知りたい」

 洋さんの自宅からは日本百名山の名前が入った手ぬぐいが見つかり、踏破した山の記念バッジが付けられていた。遺品のザックには御嶽登山の記念バッジも入っていたが、手ぬぐいに付けられないままだった。

 噴火直後の洋さんの足取りを知る唯一の手掛かりは生還者の女性だけ。母初子さん(66)は「息子の最期を知りたい思いが今の生きる力」としながらも、「聞いてしまったら新たな悲しみが広がってしまいそう」と複雑な胸中を明かす。女性とは接触がかなわないままでいる。

 昨年九月、長野県木曽町側の黒沢口登山道から山頂までの登山ルートが通れるようになり、勇蔵さんは、洋さんの遺品となったぶかぶかの登山靴とジャケットを着て、初子さんと山頂まで初めて登った。自らの足で下山できなかった洋さんの代わりに、勇蔵さんは手ぬぐいにバッジを付け足した。

 洋さんは、今も通行が規制されている同県王滝村側の王滝口登山道から山頂を目指したといわれている。だが、規制解除の前提となる避難施設の整備が遅れ、通行できる見通しは立たない。勇蔵さんは「御嶽で息子はどう生きようとしたのか。息子と同じルートをたどって同じ景色を見たい」と願う。

亡くなった洋さんの遺品を手に話す近江屋勇蔵さん(左)と初子さん=横浜市の自宅で

写真
 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報