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【社会】

命奪った弾薬庫、なぜ再び 宮古島駐屯地で着工 200メートル圏には住宅

 宮古島(沖縄県宮古島市)に新設された陸上自衛隊駐屯地で七日、防衛省は弾薬庫を含む関連施設の造成工事に着手した。住民には「弾薬庫は作らない」と説明していた経緯もあり、戦時中に島内の弾薬庫で起きた爆発事故を知る住民らは「なぜ再び弾薬庫を作るのか」と憤りを隠さない。 (望月衣塑子)

 三日に市内で開かれた住民説明会の参加者は賛成派ら約十人だけだった。会場の入り口に貼り出された説明会の名称に「弾薬庫」や「火薬庫」の文字はなく、反発した住民約百人が場外で抗議したためだ。

 会場に入らなかった平良長勇(ちょうゆう)さん(79)は「あの時と同じことを政府はまた住民に強いるのか」と憤る。

 沖縄県史や住民の証言によると、太平洋戦争中の一九四四年二月、島南東部の保良地区の木山壕(きやまごう)を利用した旧日本軍の弾薬庫付近で、爆発事故が発生。兵隊四〜五人で押していた手押し車から木箱が落ち、中の手りゅう弾が一斉に爆発した。その場にいた兵隊のうち少なくとも二人が死亡した。

 当時五歳の平良さんは、耳をつんざくような爆発音を今でも覚えている。逃げ込んだ瓦ぶきの家にも爆風で瓦と石ころが飛んできた。父親と現場に向かうと、炭のようになった兵隊が目に飛び込んできた。自宅の家の雨戸にシーツを張り巡らせ担架代わりにして遺体を住民らが運んだ。夕方、近くの公民館で急きょ、兵長がお経を読み、通夜が行われた。

 平良さんは「生々しい記憶は今でも忘れられない」と声を落とした。

 事故では、作業を手伝っていた平良まつえさん=当時(8つ)=と、彼女がおんぶして世話をしていた上里(うえざと)弘子ちゃん=同(1つ)=が巻き添えになり亡くなっている。

 弘子ちゃんの兄上里好輝(こうき)さん(84)は、母親と農作業に向かう途中に大きな爆発音を耳にした。住民から「弘子ちゃんも巻き添えになった」と告げられた母は血相を変え現場に行き、ぐったりした妹を抱いて戻ってきた。

 頭に弾の破片が刺さり、わずかに呼吸する妹の横で母親が「死ぬなよ」と叫んだが、やがて息絶えると母は狂ったように泣き叫び続けた。上里さんは「戦争や弾薬庫がなければ、妹は死なずにすんだ。政府は再び弾薬庫の建設を進めようとしている。許せない」と語る。

 小学四年だった垣花豊順(かきのはなほうじゅん)さん(86)は「首相は戦争の悲惨さを何も知らないから何でもできる。新しい弾薬庫のわずか二百メートルに住宅もある。こんな場所に弾薬庫を置くこと自体間違っている」と語った。

<陸自宮古島駐屯地の弾薬庫計画> 沖縄県・宮古島で陸上自衛隊ミサイル部隊の配備計画を進める防衛省は7日、島南東部の保良鉱山地区で弾薬庫を含む関連施設の工事に着手した。駐屯地は3月に新設。弾薬庫をめぐっては、地元には「弾薬庫ではなく、小銃などの保管庫」と説明したまま、迫撃砲弾や中距離多目的誘導弾などを島内に保管していたことが3月に発覚。当時の岩屋毅防衛相が国会で謝罪し、弾薬は島外に撤去されたが、新たな弾薬庫に再び保管される予定。

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