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【社会】

空襲で母・弟失った80歳「違憲」願う 安保法訴訟 あす判決

防空ずきん姿で反戦を訴える河合節子さん=3日、東京・永田町で

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 集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法は違憲で、平和に生きる権利が侵されたとして、戦争体験者ら約千六百人が国に一人十万円の損害賠償を求めた集団訴訟の判決が七日、東京地裁で言い渡される。東京大空襲で家族を失った原告の女性は、「戦争への道を開くような法律を許してはならない。『違憲』とはっきり判断してほしい」と願う。 (小野沢健太)

 日本国憲法公布から七十三年となった今月三日。千葉市中央区の河合節子さん(80)は国会近くの路上で、戦争の悲惨さを訴えるチラシを通行人に配り、「戦争はこれからも起こり得ます」と熱く語りかけた。頭には防空ずきん。五歳だったあのころと同じように。

 一九四五年三月十日未明、東京都深川区(現在の江東区)から茨城県中部に一人で疎開していた河合さんが外に出ると、東京方面の夜空が真っ赤に染まっていた。米軍の東京大空襲によるものだった。

 自宅は焼失し、母=当時(35)=と弟二人は行方不明になった。父だけは命が助かったが、やけどで耳たぶが溶け、唇は反り返った。

 終戦を挟んだ一時期、親戚宅の牛小屋で寝起きさせられたが、やがて父と二人で暮らせるようになった。だが、働き者だった母、つかまり立ちができるようになったばかりの弟は戻らない。父は妻子を守れなかった後悔の念にさいなまれ、頻繁にうなされた。

 「戦争は人間の生活を根底から覆す。終わった後も一生付きまとってくる」。河合さんは反戦の思いを抱えながら年を重ねた。

 政府は二〇一五年九月、他国を武力で守る集団的自衛権行使の容認を柱とする安保関連法を成立させた。「国会で十分な議論もしないまま採決を強行するなんて」。政府の姿勢がかつての軍部の姿に重なり、背筋が凍った。

 訴訟に加わったのは、「ここで黙っていたら一生後悔する」との思いから。国側は「原告らの抽象的な意見でしかない」などと請求棄却を求めたが、河合さんは法廷の証言台で「かつての記憶が呼び覚まされ、『また戦争になったら』とおびえるようになった。心の傷のかさぶたがはがされた」と被害を訴えた。

 安保関連法成立から四年余り。河合さんは「世間の関心が薄れ、このまま世界情勢に流されて戦争に参加する事態にならないか」と危ぶむ。「次世代が戦争に巻き込まれないためにも、裁判所には正しい判決を出してもらいたい」

<安全保障関連法を巡る集団訴訟> 海外での集団的自衛権の行使や武装集団に襲われた国連職員らを救出する「駆け付け警護」を認める安保関連法が2016年3月に施行。今回判決の出る集団訴訟が翌月に提起されると、同様の訴訟は東京を含め全国22地裁に広がり、原告は計約7700人にまで膨らんだ。既に判決が言い渡されたのは、今年4月の札幌地裁の訴訟だけで、原告側が敗訴している。

 

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