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【社会】

勇壮 華麗 祝いの舞 大嘗祭で披露 楽部の稽古大詰め

平成の大饗の儀で披露された久米舞(上)と五節舞(下)=いずれも宮内庁「平成大礼写真帖」から

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 天皇陛下の即位に伴って行われる大嘗祭(だいじょうさい)の中心儀式「大嘗宮の儀」(十四〜十五日)の参列者を招き、十六、十八の両日に開かれる祝宴「大饗(だいきょう)の儀」で、日本古来の雅楽の歌舞「久米舞(くめまい)」と「五節舞(ごせちのまい)」が、宮内庁楽部(がくぶ)によって披露される。いずれも大嘗祭など皇室の重要儀式で行われる。楽部の東儀(とうぎ)博昭首席楽長(65)に演目の由来や見どころを聞いた。 (編集委員・阿部博行)

 久米舞は日本最古の歌舞とされる。神武天皇の「東征伝説」で、天皇に率いられた戦闘集団「久米部(くめべ)」の舞とされ、奈良時代の東大寺大仏開眼供養でも演じられた。室町時代に応仁の乱の影響などで廃れたが、江戸末期に再興された。

 舞手は四人で色鮮やかな紅色の武官装束を着て、腰に太刀を帯びる。東儀さんも前回の大嘗祭で演じたといい、「ゆったりとした動きで抜剣(ばっけん)という太刀を抜く所作をする。優雅で勇壮な舞です」と話す。

 戦前は神武天皇の即位を祝う二月十一日の「紀元節」(現・建国記念の日)の祝宴でも久米舞が披露されたが、太平洋戦争の敗戦で紀元節が廃止され、定期演奏は行われなくなった。

 五節舞は雅楽で唯一、女性が舞手を務める。飛鳥時代の天武天皇がサクラの名所である吉野で琴を弾いていると、天女が歌いながら舞い降りたという伝説に由来する。奈良時代の聖武天皇の宴席では、女性皇太子(後の孝謙天皇)も自ら舞ったとされる。

 やはり室町時代に廃れ、現在の舞は大正時代に再興された。戦前の舞手は華族の若い女性が選ばれたが、前回は楽部楽師の娘らが務めた。今回も一般の女性が舞台に立つが、誰かは公表されていない。五人の舞手は大垂髪(おすべらかし)という平安の貴族女性の髪形に十二単(ひとえ)をまとい、男性楽師の荘重な「大歌(おおうた)」に合わせて檜扇(ひおうぎ)を掲げ、袖を振るなど華麗に舞う。

東儀博昭首席楽長

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 稽古は最終段階に入った。東儀さんは「日本舞踊のように膝を少し曲げ、腰を落ち着けてスーと歩く。その動きは農耕民族の文化の延長と思われるが、伸び伸びと優雅に見せるのは難しい」と解説する。

 この他に楽部は大饗の儀で、大嘗宮の儀に新穀を提供する悠紀(ゆき)地方と主基(すき)地方に選ばれた、栃木県と京都府の民謡や踊りを取り入れた「風俗舞(ふぞくまい)」と呼ばれる歌舞を創作してお披露目する。

<宮内庁楽部> 皇室の各種儀式や外国との交際を担当する「式部職」に所属する。雅楽を伝承し、園遊会などの行事で演奏・演舞を披露するほか、国賓を招いた宮中晩さん会では洋楽も担当する。楽部の演奏家を楽師と呼ぶ。首席楽長ら3人の楽長を含む25人の楽師は全員が男性。楽部の雅楽は1955年に国の重要無形文化財に指定され、2009年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産にも登録された。一般公演や海外公演も行っている。

 

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