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【社会】

亡き兄の無罪「命ある間に」 毒ぶどう酒事件 元死刑囚の妹90歳に

奥西勝元死刑囚の写真を眺める妹の岡美代子さん=奈良県山添村で

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 三重県名張市で一九六一年に女性五人が殺害された名張毒ぶどう酒事件で、冤罪(えんざい)を訴え続けた奥西勝・元死刑囚=八十九歳で病死=の再審請求を引き継いだ妹の岡美代子さんが、十日で九十歳になった。兄の年齢を超えたが、次に再審請求を引き継いでくれる親族は決まっておらず、「命ある間に、いい結果を」と願う。 (小沢慧一)

 「何で『やった』なんて言うたんや」。再審請求を引き継いで四年。名張市に隣接する奈良県山添村の自宅で毎朝、笑みを浮かべる兄の写真を眺めるのが日課となっている。写真は、一九六四年に無罪判決を言い渡された後の奥西元死刑囚を撮影したものだ。

 二〇一五年、チューブにつながれて寝たきりになった末、死刑囚として獄死した兄。「何もしてないのに、殺生な話や」。悔しさと寂しさが、再審請求を引き継ぐ決意を後押しした。

 事件のあった五十八年前の夜、母方の実家の養女として山添村で暮らしていた岡さんは、知人から「お兄さんの嫁さんが酒を飲んで亡くなったよ」と伝えられた。驚きで目まいがして、その場に倒れ込んだ。

 兄に疑いがかかると、母と神社へお参りに行った。「助けてください。兄はそんなことする人間ではありません」。だが、兄は自白し、逮捕された。両親と奥西元死刑囚の子二人は故郷を追われ、各地を転々とした。

 一審津地裁の無罪判決で家に帰ってきた兄を「なぜ自白したんや」と問い詰めた。「裁判でやっていないと言えば無罪になる、と警察に言われた。俺は絶対やってないよ」。兄の真剣な顔に「私かて、信じていたよ」と、涙がこぼれた。

 しかし、奥西元死刑囚はその五年後に名古屋高裁で逆転死刑判決を受けてから生涯、刑務所を出ることはなかった。

 曲がった腰が痛み、外出する機会も減った岡さん。転倒防止や体調管理に細心の注意を払う。ほかの親族に引き継ぎたい思いもあるが、再審請求の資格がある兄の子や孫は、事件から離れて生活を送っており、再審請求を続ける苦労を思うと、気が引けるという。

 一七年に申し立てた異議審は一度も三者協議が開かれていない。「裁判所は私が死ぬのを待っている」と焦りを見せながらも、気丈に語った。「兄はやっていない。無罪勝ち取るまで、私も長生きせないかん」

 ◇ 

 十六日午後一時から、名古屋市の中区役所ホールで再審請求の支援者集会があり、岡さんも登壇する。

<名張毒ぶどう酒事件> 1961年3月28日、三重県名張市葛尾の公民館で開かれた地元グループの懇親会で、白ぶどう酒を飲んだ女性17人が中毒症状を訴え、うち5人が死亡。農薬ニッカリンTを混入したと自白した奥西勝・元死刑囚が殺人などの罪で起訴された。64年に津地裁で無罪判決が出たが、69年の名古屋高裁が一審判決を破棄して死刑を言い渡し、72年に確定。元死刑囚は再審請求を繰り返し、2005年に名古屋高裁が再審開始を決定したが、06年に高裁の別の部が取り消した。15年に亡くなった後は、妹の岡美代子さんが請求人となり、第10次再審請求の異議審が続いている。

 

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