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【社会】

「無実」父の名誉回復 シベリア抑留中佐の遺族、60年ぶり軍歴訂正

無実と復権(名誉回復)が明記された山形求馬さんの軍歴確認書の写し=遺族提供

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 約六十万の日本人将兵らが太平洋戦争後、ソ連に連行されたシベリア抑留で対ソ諜報(ちょうほう)活動を理由に三十四歳で銃殺された陸軍中佐の軍歴が今年、六十年ぶりに訂正された。正しい死亡理由に加え、ソ連崩壊直後、ロシアから通知された「彼は無実であり名誉回復した」との事実が記された。八日で開戦から七十八年。公文書の訂正を求めた遺族の思いを追った。 (モスクワ・小柳悠志)

 軍歴が訂正されたのは旧関東軍ハルビン特務機関幹部の山形求馬(もとめ)さん(東京都出身)。旧満州で対ソ情報戦を行い、一九四五年九月に家族の目の前でソ連軍に連れ去られた。その後の消息はなく、五九年に都は「四六年七月一日にソ連ウォロシロフ(現ウスリースク)市で戦病死」と死亡告知書を交付、軍歴が定まった。

 抑留に関する情報は乏しく、山形さんの場合も日本側の推測にすぎなかった。長男で上越教育大名誉教授(声楽)の山形忠顕さん(81)=東京都八王子市=は死亡告知を受け取った後も父の生存を願っていた。

 だが九二年、忠顕さんは呼び出された在日ロシア大使館で真実を知る。父はソ連軍事法廷で銃殺刑判決を受け、ウラジオストクで四六年十月十六日に処刑されたというのだ。受け取った軍検事総局の文書(名誉回復証明書)には「ソ連国外での出来事を、ソ連の法で裁いたのは誤りで、故人を復権(名誉回復)させた」とも。ロシアはソ連時代に弾圧した人々の名誉回復を進めていた。

 忠顕さんは父が軍人であることを周囲には隠してきた。終戦直後、元軍幹部は戦争責任者として非難され、家族も時に仕事場や学校で後ろ指をさされたためだ。

 だが父の真実を公文書に残し、他人にも打ち明けたいという気持ちが募った。「自分は父の非業の死を看過してきたのでは」とも感じるようになった。

 年号が令和に変わった五月、名誉回復証明書などを都に提出。「公務死」として銃殺の日時と「無実」の文言が書き込まれた軍歴確認書が翌月に交付された。

 厚生労働省によると、軍歴の訂正は終戦直後を除けば珍しく、ここ二十年余りでは「まず聞いたことがない」(担当者)。忠顕さんは「亡くなった一人ひとりの最期を見つめ、正確に記録することが戦争の悲惨さをしのぶよすがになる」と話している。

 特務機関に所属し、ソ連から銃殺刑判決を受けたのは愛知県伊良湖岬村(現田原市)出身の山下務さん、静岡県出身の市川均十さん、石川県出身の村沢淳さんらがおり、山下さんの遺族は山形さんと同様の軍歴訂正の申請を進めている。

<シベリア抑留> 太平洋戦争後、旧ソ連によって日本軍人や一部文民がシベリアなどに連行され、強制労働に就かされた。厳しい自然環境と栄養不足、過酷な作業で6万人近くが死亡したとされる。1990年代に入り、ソ連が特務機関に所属した山形求馬さんら十数人を銃殺刑に処したことが判明。2017年には抑留研究の富田武・成蹊大名誉教授が旧ソ連中枢が作成した機密文書群を発見し、銃殺刑判決を受けた日本人は114人に達することが明らかになっている。

山形求馬さんの足跡を追ってきた長男忠顕さん=東京都内で

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