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【社会】

牛丼の松屋1号店がある街 江古田  正しい読み方は「えごた」か「えこだ」か

 「えこだ」それとも「えごた」? 練馬、中野の両区の境付近に位置し、学生の街としても知られる「江古田」。その読み方は一つではないらしい。地名にまつわる謎を追ってみると−。

一つの案内板に「Ekoda(えこだ)」と「Egota(えごた)」が混在する。書き分けの理由は…

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◆練馬区では「えこだ」

 練馬区にある西武池袋線江古田駅の駅名表示、近くの商店街「江古田銀座」のアーチも、ローマ字表示は「えこだ」。練馬区道「江古田通り」の表示も「えこだ」。

江古田銀座のアーチ。ローマ字表記は「EKODA」

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練馬区道の「江古田通り」は「Ekoda-dori」

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◆中野区では「えごた」

 ところが、中野区に入ると状況は一変。都営大江戸線の「新江古田駅」は「しんえごた」。公共施設への案内板も「えごた」なら、「江古田通り」も「えごた」に変化した。

都営大江戸線の新江古田駅のローマ字表記は「Shin-egota」

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中野区道のローマ字表記は「Egota-dori」

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 新江古田駅の南西約八百メートルに区立江古田小学校がある。町名は「江古田(えごた)」。このあたりが、江古田の地名の原点のようだ。

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◆地名のルーツは15世紀の文献に

 両区などによると、「江古田」の文字は十五世紀ごろの文献に出てくる。当時の読み方は分からないが、江戸時代には「江古田(えごた)村」と呼ばれていたようだ。江古田村の新田として開発されたのが、現在の江古田駅付近らしい。

 江古田駅は一九二二(大正十一)年に武蔵野鉄道(西武の前身)の駅として開業。駅名を「えこだ」と呼ぶようになった経緯は「資料が残っていないので分からない」(西武鉄道)。駅名の「えこだ」が、やがて練馬区内で広く使われるようになったようだ。

西武池袋線江古田駅のローマ字表記は「Ekoda」

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 練馬区にも「江古田町」があったが、六〇年に「旭丘」に改名された。中野区の江古田との混同を避ける狙いもあり、住民アンケートで町名を決めたという。

◆武蔵学園記念室調査員「由来特定は難しい」

 江古田の歴史については、学校法人根津育英会武蔵学園(練馬区)の学園記念室の調査・研究員、三澤正男さん(66)が詳しく、展示やホームページで紹介してきた。

 「江古田」の由来には「エゴの木があったらしい」との説があり、江古田駅が大正期には「えごた」と呼ばれていたことを示す地図もあるという。三澤さんは「(地名や読み方の経緯などを)学問的に特定するのは難しい」とし、「まあ、地名とは大体そういうものですよ」と付け加えた。

◆店名「えごた」に込めた店主の思い

 さて、練馬区の江古田通りを歩くと、「美食彩えごた」という店があった。あれっ? ここは練馬区のはずだが…。

練馬区で見つけた「えごた」

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 店主の亀井孝恭(たかひろ)さん(65)によると、現在の店名にしたのは五年ほど前。優しい印象が出るように漢字ではなくひらがな表記にした。「えこだ」ではなく「えごた」にしたのは、もともとの江古田の読み方は「えごた」と聞いたから。店先を通りがかった年配の人から「本当は『えごた』なんですよ。よく付けてくれた」と感謝されたこともあり、亀井さんは「どっちにしようか迷ったけれど、よかった」と笑った。

◆3大学集いアートな街に

 江古田駅の周辺には日本大学芸術学部、武蔵野音楽大学、武蔵大学のキャンパスがある。多くの若者が行き交い、芸術を育む気風を生み出している。

 江古田駅では、西武鉄道が3大学の学生有志らのアイデアを取り入れ、改札内に利用客が演奏できるピアノを置いたり、床面に楽譜をイメージしたデザインを施したりしている。

江古田駅構内のクリスマスコンサートでピアノを演奏する日大芸術学部の徳竹芳南さん

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 昨年12月24日には、このピアノを使って日大芸術学部音楽学科3年の徳竹芳南(かなん)さん(21)がクリスマスソングを披露し、利用客らを喜ばせた。徳竹さんは「聴いている人たちのハミングが聞こえ、楽しく演奏できました」と笑顔を見せた。

◆江古田トリビア2つ

 ★牛丼チェーン「松屋」の1号店は江古田駅近くで1968年に誕生。現在も営業を続けている。

開業当時の松屋1号店(松屋フーズホールディングス提供)

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 ★「江古田通り」は地元住民に「チャンチキ通り」という名で親しまれている。「チャンチキおけさ」を歌った歌手の三波春夫さんの家が、中野区内の同通り近くにあったことが由来らしい。

「東京五輪音頭」ヒットのトロフィーを手に笑顔の三波春夫さん=1964年、都内の自宅で

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【練馬区】 人口約74万人。面積は約48平方キロメートル。1947年に板橋区から分離独立し、23番目の区になった。農地面積は23区で最も広く、キャベツやカキ、植木の栽培が盛ん。アニメの関連産業も集まっている。

【中野区】 人口約34万人。面積は約16平方キロメートル。警察大学校の移転などによって、中野駅付近にオフィスビルや公園、大学キャンパスが誕生した。同駅近くの「中野ブロードウェイ」は「サブカルの聖地」とも呼ばれる。

◆編集後記

 「えこだ」「えごた」の読み方を巡り、練馬、中野両区の住民に、対立や相手側に変更を求める動きはあるのか。両区に尋ねると、「少なくともこの三十年間、話題になったことはない」(中野区)、「問題視する人は特にはいないかと思う」(練馬区)。ゴタゴタとはもめていなかった。

 分断、対立−。世界中でそんな言葉が飛び交う時代に、両区の住民は互いの地名や歴史、地域への愛着を尊重し合っているようだ。その姿勢は、文化や国籍の違いを乗り越え、よりよい世界の実現を目指そうとする五輪の精神とも通じるのかもしれない。 

 文・松尾博史/写真・松尾博史、由木直子

 

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