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【社会】

<阪神大震災25年>形見の手紙 若者照らす 「翼くれた母に感謝」21歳の遺志に共感広がる

加藤貴光さんの手紙を手にする母りつこさん=昨年12月、広島市で

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 1995年の阪神大震災で犠牲になった神戸大生加藤貴光さん=当時(21)=の形見となった手紙が、当時を知らない若い世代の共感を呼び、生きる指針をもたらしている。母りつこさん(71)=広島市=に宛てた文面ににじむのは、国連職員になる夢や温かい人柄。「息子は今も生き続けている」。若者らと交流するりつこさんの心の支えにもなっている。

 「息子さんの遺志を継ぎ、私も国連職員になる」「不良だったけど、手紙の話を聞いて更生できた」。貴光さんとの思い出について各地の学校などで講演を続けてきたりつこさんは、この数年間、胸が熱くなる言葉を立て続けに掛けられた。

 <私はあなたから多くの羽根を頂いてきました>

 若者との縁を育んだのは、時の流れで赤茶けた一枚のノート用紙。九三年春、貴光さんが大学入学で親元を離れる際にしたためた。丁寧な筆跡は育ててもらったことへの感謝で始まる。

 <この翼で大空へ飛び立とうとしています>

 戦争が絶えず、理不尽に命が奪われ続ける世界に、貴光さんは心を痛めていた。国連職員を目指して一念発起し、英語を猛勉強。国際交流サークルの活動に心血を注ぎ、韓国の学生と討論を通じて相互理解を深めた。

 夢に向かって全力疾走していた九五年一月十七日、下宿先だった兵庫県西宮市のマンションは激しい揺れで倒壊。現場に駆け付けたりつこさんは、冷たくなった遺体を前に全身の力が抜けた。そばに立っている桜の若木に「息子の最期の声が聞きたい」と耳を押し当てた。

 <希望と期待を無にしないためにも、力の続く限り飛び続けます>

 喪失感から自宅にこもり、弔問も固辞。そんな日々から抜け出せたのは、手紙の内容が新聞記事になったことがきっかけだった。共感が広がり、講演の依頼が舞い込むように。新たな交流で多感な若者たちに出会った。

 貴光さんの生きざまに感化された中学生は、努力の末に志望大学に合格。外務省が海外派遣する「ユース非核特使」に選ばれた高校生は、遺影を手に米ニューヨークの国連本部に向かった。成人後も「お母さん」と慕ってくれる女性もいる。

 <遠く離れていても、心は互いのもとにあるのです>

 「息子はいつもそばで私を導いてくれている」。手紙のコピーを肌身離さず持ち歩くりつこさん。マンションの倒壊現場は桜の木を残して様変わりしたが、次世代に脈々と受け継がれていく貴光さんの遺志を感じ取る。

 貴光さんが母りつこさんに宛てた手紙の全文は次の通り。

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加藤貴光さん=母りつこさん提供

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 親愛なる母上様

 あなたが私に生命を与えてくださってから、早いものでもう20年になります。これまでに、ほんのひとときとして、あなたの優しく、温かく、大きく、そして強い愛を感じなかったことはありませんでした。

 私はあなたから多くの羽根を頂いてきました。人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること…。この20年で、私の翼には立派な羽根がそろってゆきました。

 そして今、私は、この翼で大空へ飛び立とうとしています。誰よりも高く、強く、自在に飛べるこの翼で。

 これからの私は、行き先も明確でなく、とても苦しい“旅”をすることになるでしょう。疲れて休むこともあり、間違った方向へ行くことも多々あることと思います。しかし、私は精いっぱいやってみるつもりです。あなたの、そしてみんなの希望と期待を無にしないためにも、力の続く限り飛び続けます。

 こんな私ですが、これからもしっかり見守っていてください。住む所は遠く離れていても、心は互いのもとにあるのです。決してあなたは独りではないのですから…。

 それでは、くれぐれもお体に気をつけて、また会える日を心待ちにしております。最後に、あなたを母にしてくださった神様に感謝の意を込めて。

貴光さんが親元を離れる際にしたためた手紙

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