東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社会 > 紙面から > 1月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【社会】

軽井沢バス事故4年 闇の中、追悼と謝罪

雪の降る中、スキーバス事故現場近くにある「祈りの碑」を訪れ、手を合わせる男性=15日午前0時48分、長野県軽井沢町で(野村和宏撮影)

写真

 大学生ら十五人が死亡した長野県軽井沢町のスキーツアーバス転落事故から四年を迎えた十五日、バスを運行した「イーエスピー」(東京都羽村市)の高橋美作(みさく)社長(58)が国道18号碓氷(うすい)バイパスの事故現場のそばに建立された「祈りの碑」に献花。「ご冥福を心よりお祈り申し上げます」と謝罪した。 (安永陽祐)

 高橋社長は、事故の一報を受けたという午前五時ごろに事故現場を訪れ、祈りの碑に花束を手向け、一分以上目を閉じて手を合わせた。

 献花後、報道陣の取材に応じた高橋社長は「ご遺族の皆さま、被害に遭われた皆さま、関係するすべての皆さま方に心よりおわび申し上げます」と頭を下げた。事故現場を訪れたのは昨年のお盆以来といい、「本当に申し訳ないという気持ちと謝罪の気持ちを込めて献花した」と語った。

 遺族が同社を相手取った損害賠償請求訴訟は一部で和解が成立しているが、「真摯(しんし)に対応したい」と述べるにとどめた。一方、県警は二〇一七年六月に業務上過失致死傷容疑で高橋社長らを書類送検。長野地検が捜査を継続していることについては「コメントは控えたい」と述べ、刑事責任には言及しなかった。

 東京農工大一年だった長男の大谷陸人さん=当時(19)=を亡くした父慶彦さん(54)は、陸人さんのコートを着込んで献花に訪れた。「四年前と変わらない、苦しい気持ち。陸人の人生、記憶がそこで終わってしまったと思い知らされる」と話し、祈りをささげた。

◆五輪見たがった息子思い、再発防止活動

亡くなった次男の寛さんの写真を手にする田原義則さん=11日、京都府舞鶴市で

写真

 「たぶん東京近辺で就職してたんかな。東京オリンピックをえらい楽しみにしていたので」。二〇一六年一月に長野県軽井沢町で起きたスキーバス事故は十五日で四年となった。次男の寛さん=当時(19)=を亡くした田原義則さん(54)夫妻にとって、悲しさ、悔しさは変わらない。社会人として活躍していたであろう姿を思い描き、再発防止の活動を続けている。

 一月十一日。山に囲まれた舞鶴湾が見える、京都府舞鶴市の丘。暖かな日差しが照らす中、夫妻は寛さんの墓を訪れた。祖母が育てた花が飾られた中に青い帽子をかぶった寛さんの写真を置き、大好物のイチゴを供えて静かに手を合わせた。

 あの日の早朝、大阪府吹田市の自宅で、妻の由起子さん(53)はテレビで事故を知った。警察から「遺体を確認に」との電話があり、夫妻で軽井沢に。ひつぎの中の息子と対面した。「傷がほとんどなく、眠っているような顔。冷たかったけど、温めたら起きるんかなと思った」と義則さん。由起子さんは「起きて、起きて」と叫んでいた。

 首都大学東京の二年生で、社会福祉を学び、夢や希望に満ちあふれていた。由起子さんは「友達もたくさんできて、誰よりも楽しんでいた」と、当時の思いを話すと今も涙が止まらない。今年は東京五輪。「万が一チケットがとれたら…」と、明るく話題にしていたことが思い出される。

 義則さんは毎朝自宅の仏壇に朝食を供え、寛さんの写真がたくさん張られた四枚のボードを部屋に立てかける。大学の友人が送ってくれた。

 義則さんらは遺族会をつくり、国土交通省と意見交換をし、再発防止に向けて活動を続けてきた。昨年十一月には、警察庁運転免許課も初めて訪問。技術が不十分な運転手による免許更新を防ぐため、適性検査実施などの制度作りを要望した。

 実を結んだ内容もあるが、まだ十分ではないとの思いがあり、今後も地道に活動を続ける。「寛の姿を思い出し、モチベーションに変えている」。事故を繰り返させないため、背中を押してもらっている気がする。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報