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【社会】

相模原殺傷、地裁公判 犠牲者12人の遺族調書読み上げ

 相模原の障害者施設殺傷事件の裁判員裁判で十五日、犠牲者十二人の生きた証しが込められた思い出や、遺体と対面した場面を語った遺族の調書が読み上げられた。「はじける笑顔が心に残る。笑顔が何度も救ってくれた」「生きる希望をもらった」。それぞれの個性と、言葉を介さずとも心を通わせ、支え合って生きてきた家族の姿がまざまざと浮かび上がった。

 殺人罪などに問われた植松聖(さとし)被告(29)は「意思疎通のできない障害者は不幸しか生まない」と主張。十五日の法廷は、遺族が自らの言葉で被告の考えは誤りだと突きつける形になった。

 十九歳だった美帆(みほ)さんの母は、幼児期に重度の知的障害を伴う自閉症があると分かった時はショックを受けた。心中が頭をよぎったことも。だが無我夢中で子育てを続けるうちに「美帆に生きる希望をもらった」と感じるようになった。

 七十歳で亡くなり、法廷では甲Dと呼ばれた女性の兄は、半世紀にわたり、月に一度は園を訪ね、妹と手をつなぎ歩いた。戦後の食糧難の中、六歳で脳炎を患い、障害があって生きた妹。「言葉は多くなくても、かわいく、いとしい」と感じていた。

 妹と生きる父の姿から「家族の愛情」を学んだという、めいの証言も。「一緒に歌を歌う」「お兄ちゃんと言ってくれる」と父は言うが、そうは見えない。だが二人は「心が通い合っている」と感じていた。遺体と対面した時、妹の顔を両手で包み、声を押し殺すように名前を呼んだ。

 甲Kの男性=同(41)=の母は、ダウン症のある息子について「不安だったが、寝顔を見ていると、前向きにしか考えられなくなった」。通所施設に初めて一人で通えた時の感激が忘れられない。周囲は「大変だね」と言うけれど「いつまでも成長を見守れる」と考えていた。

 脳性まひによる障害があった甲Lの男性=同(43)=の母は、遺体との対面時、笑っているような顔に見えたと回顧した。頭をなでながら、語りかけた。「今までありがとう。生まれてきてくれて、お母さん、幸せだったよ」

◆植松被告事件前から「障害者いらない」繰り返す

 十五日の公判で、検察側は植松被告の元同僚の供述調書も読み上げた。調書では、被告が事件前から「重複障害者はいらない」「利用者いらなくね」などと繰り返し話していたことが明かされた。

 元同僚は植松被告と同い年で中学、高校の同級生。二〇一二年七月に園に就職し、被告に「利用者と散歩をすると楽しいよ」などと話したところ、被告は「俺もやってみようかな」と興味を持ち、同年十二月から園で働き始めた。

 当初は仕事の不満や悩みを相談されることはなかったが、一五年十二月、植松被告が上司に「利用者を力で押さえつけ、恐怖を与えた方がいい」と言ったことを耳にした。一六年一月には被告からLINE(ライン)で「重複障害者はいらない」などと届き、「障害者にもその人なりの幸せがあると思うよ」とメッセージを送ると、「貴重な意見ありがとうございます」という返事が来た。

 植松被告は翌月に園を退職。四月に会った際も「利用者いらなくね」などと障害者を軽視する発言を繰り返したという。 (丸山耀平、福浦未乃理)

 

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