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【社会】

阪神大震災25年 亡き人の面影、今も 神戸で祈り 教訓、これからも語り継ぐ

阪神大震災から25年を迎え、犠牲者の名前を刻んだ銘板に手を触れる人=17日、神戸市中央区の東遊園地で

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 六千四百三十四人が亡くなった阪神大震災は十七日、発生から二十五年となり、兵庫県内各地で追悼行事が営まれた。神戸・三宮の公園「東遊園地」では約五千本の竹灯籠に、亡き人の面影が重なった。四半世紀の時が流れても、亡き人の無念は消えず、追慕も変わらない。被災地は祈りに包まれた。

◆ママ、おっちゃんになっちゃったよ

 母の久美(ひさみ)さん=当時(59)=を亡くした西谷秋久さん(50)=東京都渋谷区(東遊園地で)

 西宮市にあった木造二階建ての実家は全壊。二階で寝ていた父親は助かったが、母親は一階で下敷きになり亡くなった。東京から何百回も電話をかけたけど、つながらなかった。ニュースで母親の名前が流れても、「同姓同名だろう」とかすかな望みを抱いた。でも翌日、親戚から亡くなったと聞いた。

 迷惑を掛けても、何をやっても許してくれる優しい人だった。震災前の年末年始は仕事で帰省できず、ちょうど落ち着いた十七日に「いつ帰ろうか」と電話で相談をするつもりだった。

 当時はまだ若くて子どもっぽかったけど、もうこんなに大人になったよ。おっちゃんになっちゃったよ、ママ。

◆弁当作り 料理上手になってもた

 妻の直美さん=当時(36)=と生後六カ月の三男祐太ちゃんを、当時自宅があった西宮市屋敷町で亡くした会社役員小林祥人(ひろと)さん(64)=神戸市灘区(西宮市の西宮震災記念碑公園で)

 「自分がいつおらんようになっても恥ずかしくない子に育てんと」。それが口癖やったね。しつけに厳しい、気の強いお母さんでした。でもまあ、そんなところにひかれたんやけど。あの日も、がれきの下で意識を失うまで「お父さんの名前を呼びなさい!」と、一緒にいた長女を励ましていたんやってね。

 息子二人と長女は立派とは言えないけど、いい子に育ったよ。子どもたちの弁当作りを頑張ったなあ。二十五年たって、すっかり料理上手になってもた。今も同居する長女の孫たちと合わせて六人分のおかずを用意してるんやで。

◆義母がかばった娘 孫を見て思い出す

 義母の関ハルさん=当時(63)=と長女の瞳ちゃん=当時(1つ)=を亡くした竹場満さん(54)=神戸市灘区(東遊園地で)

 あの日は近所にある妻の実家で、義母と長女が一緒に眠りについていた。長女は前の日まで二階で寝ていたんだけど、生まれたばかりの長男が夜泣きしちゃって、義母が「私がこの子(長女)を見てあげる」って一階に下りて。その一階がつぶれてしまった。義母がとっさにかばってくれたのか、長女の体はほとんど無傷の状態だった。

 長女は「ママ」とか「マンマ」とか少しずつしゃべり出して、震災の何日か前、よちよち歩きを始めたところだった。今、長男には三歳と一歳の子どもがいてね。同じ年頃の孫たちを見ていると長女を思い出す。顔がよく似ているから。どんな形であっても、生きていてほしかった。

 

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