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【社会】

<聖火 移りゆく 五輪とニッポン>第1部 もう走れません(5) 選手である前に自衛官

銅メダルを獲得し、畠野洋夫コーチ(右)と抱き合う円谷幸吉=畠野由美子さん提供

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 「NIPPON」のジャージーを着た銅メダリストを満面の笑みで抱きかかえるコーチ。一九六四(昭和三十九)年、東京五輪のマラソンでゴールした円谷幸吉を、七つ年上の指導者が祝福する場面が写っている。

 コーチは当時、自衛隊体育学校(東京)の教官だった畠野洋夫だ。円谷の死後、自衛隊を去り、二〇〇九年に他界したが、茨城県日立市の自宅に円谷との写真を大切に残していた。

 「人生で一番、いい時だったなあ」。退職したころ、畠野が東京五輪をしみじみと振り返っていたのを、長女の千佳(57)は鮮明に覚えている。娘との思い出も差し置いて、と反発を覚えながら。

 畠野は円谷が最も信頼を寄せていた指導者だと、関係者は口をそろえる。円谷のゴールは「国立競技場でラジオの実況を聞きながら見届けた」と千佳は父から聞いている。

 レース途中で円谷の上位浮上を聞き、待ちきれず神宮外苑を見下ろすスタンド最上段へ駆け上がった。競技場に戻ってくる円谷に目を凝らす。場内で英国のヒートリーに抜かれたが「銀でも銅でもどっちでもいい」。メダル獲得を果たしたコーチの心境を、率直に家族に明かした。

 同時に「円谷は気にしていたみたい。みんなの前で抜かれちゃったことを」とも話している。

 それから一年半ほどがたった六六年初夏ごろ、畠野と円谷の人生は暗転する。きっかけは、円谷と自衛隊職員だった女性との婚約を巡るいざこざ。畠野の妻由美子(79)は、憤って帰宅した夫からいきさつを聞いている。

 円谷と女性の両家顔合わせの場。畠野は、同席した当時の体育学校長が上から目線で言い放った言葉に耳を疑う。

 「メキシコ・オリンピックに出る円谷を支えることができるんですか」。女性に向かい、二年半後に迫った次の五輪を持ち出し、「私は反対です」と縁談を壊そうとした。

 校長は、前日に畠野から結婚予定の話を聞いたばかり。「自分より先にコーチが知っていたのがおもしろくなかった」と由美子は夫から聞いている。

 結婚を後押しし続ける畠野は、その後いきなり、北海道への配属を命じられる。経験のないスキーのコーチとして。円谷は、女性から婚約破棄された揚げ句、コーチも失ってしまう。

 さらにこのころ、円谷は福岡県の自衛隊幹部候補生学校に入校。半年間は練習も満足にできなくなった。

 「各方面からの期待はありましても、一線クラスとしてこれ以上続けるには無理であります」。円谷は長兄敏雄(故人)への手紙に不安をつづっている。

長兄敏雄に弱音を漏らした円谷の手紙

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 成績は上向かず、「メキシコまで二年しかない」と周囲に焦りをみせていた円谷。なのになぜ幹部候補生学校に行ったのか。体育学校の同僚として、円谷の自衛隊葬で弔辞を読み上げた三宅義信(80)=東京五輪重量挙げ金メダリスト=は今でも疑問に思う。

 「おれなら行かない。メキシコがあるから」ときっぱり。「あいつは選手である前に、自衛官だった」。体育学校長が言ったことは何でも、円谷には絶対命令だったとしか思えない。

 円谷は、東京五輪直後に発した自分自身の言葉にも服従していく。国立競技場で抜かれた場面を胸に刻んで。 (敬称略)

      ◇

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