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【社会】

ハンセン病 遺族の葛藤 草津・重監房資料館の映像 25日、都内で上映会

ドキュメンタリー映像で、木村真三さんが大叔父の遺骨を手にする場面

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 群馬県草津町の国立ハンセン病療養所「栗生楽泉園(くりうらくせんえん)」に隣接する重監房資料館が、ハンセン病患者遺族の葛藤に焦点を当てたドキュメンタリー映像の上映会「遺族ふたり」を、2月末にかけて各地で開く。同館の黒尾和久学芸部長は「患者は存在を隠すことで、家族を差別から守ろうとした。今なお世間の視線を恐れる遺族がいることを理解してほしい」と訴える。

 遺族の一人は愛媛県出身の独協医大准教授、木村真三さん(52)。一九四一年に亡くなった大叔父仙太郎さんはハンセン病患者だった。戒名のない位牌(いはい)や親族の遺品のはがきなどから、存在だけは知っていた大叔父がどう生きたのかを知ろうと各地の療養所を訪ね、岡山県の国立ハンセン病療養所「長島愛生園」の患者収容簿で名前を発見。園が保管していた遺骨を、愛媛の実家の墓に納骨するまでを追った。

 放射線衛生学者で、東京電力福島第一原発事故の健康影響などを調査している木村さんは取材に応じ「『知らなかった』で済む問題ではない。怨嗟(えんさ)の根を断ち切るため、知ることを大切にし、遺族として証言したいと思った」と明かした。

 もう一人の遺族、栗生楽泉園近くの児童施設で幼少期を過ごした七十代女性は匿名。ハンセン病を患っていた父は、四〇年に熊本市から同園の懲罰施設「重監房」に一時収監された。両親と引き離されて育った女性は父と同居したことがなく、母の記憶もあまりない。

 映像内で女性は、横顔のみでインタビューに応じ「『患者』という言葉を学校で聞くのが嫌だった。見ようとも知ろうともしなかった」と振り返る。重監房に収監されていたことは、父から聞いていなかったといい「語らないことの重みを感じる」と話した。

 映像は、予約すれば重監房資料館で視聴できる。上映会は二十五日に東京都千代田区、二月七日に岡山市、同十日に高松市、同二十八日に熊本市で。会場ごとに定員五十〜百人の先着順で、入場無料。

ハンセン病患者遺族の女性(左)が重監房跡地を訪れる場面=いずれも重監房資料館提供

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