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【社会】

<聖火 移りゆく 五輪とニッポン>第1部 もう走れません(7) 「復興」の象徴、力尽きる

円谷幸吉の遺書の全文=原文を基に製作

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 一九六八(昭和四十三)年一月九日午前九時。自衛隊体育学校(東京)の重量挙げ選手だった三宅義信(80)は、円谷幸吉らと神奈川県の米軍横須賀基地にあいさつに行く朝だった、と記憶している。

 校長も出発の準備ができているのに、近くの官舎に住む円谷の姿がない。陸上班に聞くと、部屋に鍵がかかっている。三宅は「こじ開けろ」と命じた。

 官舎隣室のレスリング選手が、円谷の部屋と共用のトイレから入る。「円(えん)ちゃん、明けましておめでとう」。衝撃の始まりだった。

 壁にかかった自衛官の制服に走る血しぶき。駆けつけた陸上班後輩の白倉和義(76)の目に焼き付いている。

 一メートルほど離れたベッドに、寝間着姿の円谷。タオルを当てた右首に三センチほどの切り傷があり、血が背中まで真っ赤に染め上げている。右手の先に、細長い両刃のナイフ型カミソリが落ちていた。

 今も人々の心を揺さぶる遺書はすぐには見つからず、机の天板裏にテープで貼り付けられているのを、自衛隊の警務隊が見つけた。

 「父上様 母上様 三日とろゝ 美味(おい)しうございました」。三枚の便箋に親族三十一人の名前を挙げ、上官にもわびた内容。円谷の故郷、福島県須賀川市で保管されている。

 陸上自衛隊郡山駐屯地(福島県郡山市)時代の練習相手だった斉藤章司(86)は、とっさに駐屯地に飾ってあった特攻隊員の遺書を思い起こした覚えがある。「そっくりなんだ、文面が。円谷もそうなっていくものなのかと」

 遺書に名前が連ねられた一人、医師の幸雄(66)は、叔父の絶望感の深さに思いをはせる。医療現場の経験から「頸(けい)動脈は相当、思い切りやらないとカミソリでは切れない。覚悟がないとできませんよ」と涙ぐむ。

 円谷の死に文豪の筆も動く。「責任感、名誉を重んずる軍人の自尊心である」。三島由紀夫は「円谷二尉の自刃(じじん)」と題して新聞に寄稿し、手放しで称賛した。

円谷幸吉の葬儀が営まれた市ケ谷記念館。3年近く後、三島由紀夫がバルコニーから演説した=東京都新宿区の陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で

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 それから三年近くたった七〇年十一月下旬、四十五歳の三島は割腹自殺する。くしくも、円谷の葬儀が営まれた陸自市ケ谷駐屯地(東京都新宿区)で。

 「日本は経済的繁栄にうつつを抜かして、精神的には空っぽになってしまっているんだぞ」

 三島はバルコニーから自衛隊に決起を呼び掛けるが、隊員たちから「頭を冷やしてこい」と激しくやじが飛ぶ。三島は「それでも武士か」と言い捨て、総監室で腹を切った。

 円谷が命を絶った六八年、日本の国民総生産(GNP)は西ドイツ(当時)を抜き、世界二位の経済大国に。三島が自決した七〇年には大阪万博も開かれ、東京五輪が目指した「敗戦からの復興」「一流国の仲間入り」は体裁が整う。

 そのエネルギーを賄う東京電力福島第一原発1号機(二〇一一年三月の事故で廃炉)が七一年三月、営業運転を開始。それが炭鉱不況にあえぐ福島に及んできた高度成長の波だった。

 「右肩上がり」の象徴を引き受け、力尽きた円谷。福島県の実家では、練習仲間だった斉藤が訪ねるたび、父幸七がテープレコーダーを持ち出してきた。

 「斉藤さん、あれ聞こう」。録音された東京五輪マラソンの実況が縁側に流れ、二人で座って聞く。

 「ニッポンの円谷、完全に疲れました」

 旧陸軍上がりの厳父も「相当寂しかったんでしょう」と斉藤。幸七は七五年秋、この世を去った。息子、幸吉が逝って七年半余り後のことだった。 (敬称略)

 =第一部おわり

 阿部伸哉、吉光慶太、武藤周吉、坂本圭佑、渡辺雄紀が担当しました。

<三島事件> 1970年11月25日午前11時ごろから午後0時15分ごろにかけ、自衛隊の国軍化や、天皇を中心とする伝統の擁護を訴える作家の三島由紀夫が、自ら主宰する民間武装組織「楯(たて)の会」会員4人とともに、東京・市谷の陸自東部方面総監部に押し入った事件。総監を監禁し、三島がバルコニーで演説。集まった自衛隊員にクーデターを呼びかけるが、約10分で演説を切り上げ、総監室で短刀で割腹。ノーベル文学賞候補とされた著名作家の死は海外にも衝撃を与えた。

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