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【社会】

<東京2020 祝祭の風景> 第3部 義足の可能性(2) 障害ばかりに焦点当てないで

昨年7月、岐阜市で開かれたパラ陸上の大会で跳躍する男子走り幅跳びのマルクス・レーム=岐阜市の長良川競技場で

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 「俺のヒーローだ」

 乙武洋匡(43)は思わず泣いた。

 昨年八月、東京都内であった東京パラリンピック開幕一年前イベント。義足の陸上男子走り幅跳びで8メートル48の世界記録を持つマルクス・レーム(31)=ドイツ=がゲストで壇上に現れた。客席で、登場を知らなかった乙武は、なぜかあふれる涙の理由を自問自答していた。

 レームの存在を知ったのは二〇一四年。右脚が義足のアスリートは同年のドイツ選手権で8メートル24を記録し、健常者を上回って勝った。優勝者は欧州選手権に出られるはずだったが、人間の足より反発力のある義足が「有利に働いている」と指摘する声が上がり、出場はかなわなかった。

 いきさつを伝えるニュースに接し、乙武は理不尽な思いがした。健常者とは別の戦いの場があるのに異論はない。ただ「義足で勝てちゃうならだめ、と後から言うのはおかしい」。健常者に排除された勝者は自分のヒーロー。初めてその姿を見て分かった。

 乙武には生まれつき両腕両脚がない。幼いころから何をしてもほめられた。感じてきたのは「どうせ何もできないだろう」という前提だ。

 「周りを見返してやろう」と早稲田大に進み、在学中に半生記「五体不満足」を著した。ベストセラーになると「障害者なのにすごい」とたたえられた。

 一六年、私生活のスキャンダルが発覚。表舞台から姿を消していたが、義足エンジニアの遠藤謙(41)たちから義足で歩くプロジェクトに誘われた。「歩くのをあきらめた人に希望を届けられるのなら」と一七年の終わりに引き受けた。

 物心ついてから電動車いす生活で歩き方を知らないが、人工的な膝のある最新鋭の義足で歩行に挑んでいる。昨夏には二十メートル歩くことができた。皮肉にも、社会的な評価が落ちた後の今のほうが「プロジェクトや新技術の意義に焦点が当たる」と話す。

義足歩行に挑む乙武洋匡=東京都江東区で

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 「障害者の代表」と周囲から見なされることが多かった乙武は、「東京パラリンピックでの課題は、成績不振のパラアスリートをしっかり批判できるかにある」と考える。

 本来アスリートは、結果が出なければ評価されることはない。でも、パラアスリートは「障害を乗り越えた」という「物語」が強調され、「よく頑張った」で終わりがちだ。

 レームはかねて五輪出場を希望している。一六年リオデジャネイロ大会は、世界陸連から「義足が有利ではないという証明」を求められ、断念せざるを得なかった。東京大会も夢はかないそうにない。

 五輪のメダルが欲しいわけではない。パラスポーツがいかに発展してきたかを示したいだけだ。

 「五輪に出るアスリートと同じ記録が出せるのを誇りに思う。私たちには同じだけの力がある」

 「障害者だから」というバイアスはいらない。健常者と違わず高みを目指す一人のアスリートとして、純粋に評価されることを望んでいる。 =敬称略

 

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