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【社会】

音楽で誰もに居場所を 元ブルーハーツメンバー 不登校児らと演奏活動

ドラムをたたいてライブを盛り上げる梶原徹也さん(中)=昨年12月1日、JR浜松駅北口で

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 ロックバンド「THE BLUE HEARTS」(ザ・ブルーハーツ)の元メンバーでドラマーの梶原徹也さん(56)が、浜松市内のフリースクールや障害者福祉施設などを拠点として音楽活動をしている。高校時代に引きこもりになった経験から「音楽で心のよりどころとなるような居場所づくりを手伝っていきたい」とバンド解散後の活動の場に福祉分野を選んだ。 (松島京太)

 昨年十二月のJR浜松駅北口。ブルーハーツのヒット曲「情熱の薔薇(ばら)」を、若者たちが熱唱したり、ギターを弾いたりしていた。その傍らで、梶原さんが汗だくでドラムをたたく。紹介されると、通行人が「あのブルーハーツ?」と驚いて足を止め、迫力たっぷりの演奏に耳を傾けた。

 屋外ライブは浜松市東区天竜川町でフリースクールを運営するNPO法人「ドリーム・フィールド」が開催した。梶原さんが同法人の大山浩司代表(59)と約二十年前に知り合い、今ではスクールでの音楽の練習に毎月参加。同市中区の障害者福祉施設「たけし文化センター連尺町」でも隔月で施設利用者と音楽セッションを開いている。

 ライブで一緒にドラムをたたいた浜松市東区の女性(26)は、言葉をうまく出せない。「普段はスクールの隅でしゃがんでいたが、音楽を通してなら自分を表に出すことができる」と筆談で説明した。大山さんは「音楽を教えてもらって元気をもらう生徒はたくさんいる」と話す。

 梶原さんは高校二年生の時に進学校の雰囲気になじめず、半年ほど不登校を経験したが、同級生の音楽仲間とバンドを結成して学校に復帰できた。「音楽が自分に居場所を与えてくれた」と振り返る。大学進学後はブルーハーツに加わり、ドラマーとしてバンドを支えた。

 解散以降は福祉分野へと目を向けた。きっかけは、神奈川県厚木市の福祉施設を利用する障害者をメンバーとするロックバンド「サルサガムテープ」。元「うたのお兄さん」のかしわ哲さんの呼び掛けで結成、障害者が手作り太鼓などをパワフルに演奏するのが特徴で、フジロックフェスティバルにも出演経験がある。

 梶原さんは「それぞれが好き勝手に楽しそうに楽器をたたく姿に衝撃を受けた」。「サルサ」と共演したことがあるロックミュージシャンの故・忌野清志郎さんに紹介してもらい、「サルサ」の活動に参加。今はメンバーとしてドラムを担当している。

 全国各地で演奏している梶原さんだが、浜松市を重点的に訪れている。「浜松は音楽に携わっている人も多いので、駅前などで積極的にアピールしていきたい」と意気込む。

<THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)> ボーカルの甲本ヒロトさんらを中心に1985年に結成された4人組ロックバンド。86年の梶原さんの加入後、「リンダリンダ」「TRAIN−TRAIN」「情熱の薔薇」などのヒット曲を生んだ。95年に解散。

 

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