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【社会】

92歳うなぎ職人 B29が鬼に見えた 家宝のタレ戦火から守る〈東京大空襲75年〉

空襲体験を語る金本兼次郎さん

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 東京・東麻布(港区)で江戸時代から続くうなぎの名店「野田岩」の5代目、金本兼次郎さん(92)は東京大空襲の夜、下町の惨状を屋根から見つめた。「B29が鬼のように見えた」という忌まわしい記憶が、75年たった今も鮮明によみがえる。この夏、2度目の五輪がふるさと東京にやって来る。生涯現役を掲げるパワフルな職人は聖火リレーに挑戦する。「もう戦争はしてほしくない」。平和への思いを背負い、1世紀近くを過ごしてきた街を駆ける。 (加藤健太)

◆老舗の五代目は今も現役

 午前三時五十七分にセットした目覚まし時計が一日の始まりを告げる。東京タワーにほど近い港区東麻布の老舗うなぎ料理店「野田岩」。五代目の金本兼次郎さん(92)は、起床時刻にも表れる几帳面さで、今も名店の調理場を仕切る。

 八人きょうだいの長男として生まれ、タワーがそびえる前から、この地の移り変わりを一世紀近く見てきた。空襲で家も思い出の写真も全て失ったが、江戸時代から伝わる秘伝のタレだけは自らの手で守り抜いた。「江戸っ子の気性のよう」という、さっぱりとしたタレが、うなぎの味を引き立てる。

◆マネキンに見えたものは…

 一九四五年三月十日の東京大空襲の夜、十七歳の金本さんは自宅兼店舗の屋根から下町方面を眺めていた。低空で飛んでくるB29がサーチライトに照らされ、機影が不気味に浮かび上がる。「赤や青色に光る姿が鬼のように見えた」。焼夷弾がまき散らされる惨状をぼうぜんと見つめるしかなかった。

 約十万人が亡くなったとされる夜が明け、家族の疎開先の千葉に向かって、いとこと浅草の言問通りをリヤカーを引いて歩いた。隅田川にかかる言問橋の手前だった。道端に目をやって「マネキンの工場でも焼けたのかな」と思った瞬間、いとこが叫んだ。「人だよ、人!」。硬直して折り重なっていたのは焼け死んだ人たちだった。言問通りを通ると今も思い出す光景だ。

東京大空襲の翌朝、金本さんが見た浅草は焼け野原だった。中央を横切る建物は焼け落ちた仲見世=1945年3月

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◆命の2番目に大事なタレ

 それから二カ月後。麻布に戻っていた金本さんは、空襲に備え、タレが入ったかめを抱えて近くの防空壕へと走った。先代の父から「命の二番目に大事にしろ」とたたきこまれた家宝とも言えるタレ。その直後の五月二十五日、赤坂や青山が狙われた山手大空襲で麻布一帯は焦土と化した。店も全焼したが、防空壕に入れておいたタレは無事だった。

空襲を逃れた秘伝のタレ

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 港区史によると、一連の空襲で麻布区(当時)は、二万戸近くあった家屋の六割が焼失し、百八十人が犠牲になった。八月十五日、玉音放送を聞き、「これでゆっくり寝られる」と空を見上げた。

 終戦後、野田岩はバラック小屋で営業を再開した。金本さんは五七年、父を継ぎ、五代目に就任。脇目も振らず働いていた六四年、東京に五輪がやってきた。買ったばかりのカラーテレビにかじりついた。「東京でやるんだから絶対負けるなよ」。銅メダルに輝いた競泳・男子八百メートルリレーの奮闘に胸を熱くし、仕事への情熱を燃やした。

港区東麻布で江戸末期から続く老舗うなぎ屋・野田岩

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◆平和への思い胸に聖火ランナーを

 今夏、東京で開かれる二度目の五輪で、金本さんは聖火ランナーを務める。四人の娘たちの勧めで応募し、当選したのだ。平和の祭典に関われる喜びをかみしめ、「二度と戦争はだめだ」という思いをあらためて胸に刻んでいる。

 日ごろ八キロのウオーキングをこなしているだけに脚力に自信はある。それでも毎晩の缶ビールを断ち、本番に備えている。走るのは港区内の二百メートル。「すぐ走りきったら見ている人もつまらないもんね。十歩走ったら十歩歩こうかな」。客を楽しませることにこだわってきた金本さんらしい心意気だ。

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 ◆1928年生まれ。江戸後期・寛政年間に創業した「野田岩」の5代目。ワインやキャビアとの食べ合わせを提案するなど伝統にとらわれない革新的な姿勢が高い評価を受けている。2007年には卓越した技能が認められ、厚生労働省の「現代の名工」に選ばれた。

 

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