東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社会 > おくやみ一覧 > 記事

ここから本文

【おくやみ】

中曽根康弘元首相死去 改憲提唱、国鉄民営化

写真

 安倍、佐藤、吉田、小泉各内閣に次ぐ戦後第五位の長期政権を担い「戦後政治の総決算」を掲げて国鉄(現JR各社)の分割・民営化を実現した元首相の中曽根康弘(なかそねやすひろ)氏が死去したことが二十九日、分かった。百一歳。群馬県出身。関係者によると、二十九日午前七時すぎ、東京都内の病院で亡くなった。

     ◇

 旧東京帝大卒。内務官僚、海軍主計科士官を経て一九四七年、戦後第二回の衆院選で初当選。二〇〇三年に引退するまで連続二十回当選、在職五十六年に達した。

 岸信介改造内閣で科学技術庁長官として初入閣。自民党内で頭角を現し河野派分裂後は中曽根派を形成し一派を率いる。

 一九八二年、鈴木善幸首相退陣後の党総裁選では、党員の予備選で圧倒的な得票を得て総裁の地位を獲得、首相に就任した。行革推進と「戦後政治の総決算」を掲げ、八七年までの長期政権を築いた。ただ、政権発足当初は、閣僚、党役員に当時の田中派の有力議員を大量に採用して「田中曽根内閣」「直角内閣」などとやゆされた。

 日米関係では、ロナルド・レーガン大統領との間に親密な「ロン・ヤス」関係を築き、「不沈空母」発言などにより米国の信頼を得て日米安全保障体制を強化した。

 内政では、専売公社、国鉄、電電公社の三公社民営化を断行。「死んだふり解散」による八六年の衆参同日選挙では衆院で三百議席を超える圧勝を収め、自民党で初の総裁三選を果たした。

 その後、選挙中に導入しないと宣言していた売上税を導入しようとして支持率を落とすも同税撤回で復活し、八七年十一月、余力を残して退任。ニューリーダー三氏の中から、竹下登氏を後継に指名(中曽根裁定)した。

 退任後はリクルート事件でいったん離党するも復党。衆院小選挙区比例代表並立制導入に当たっては比例代表での終身一位の保証を受ける。二〇〇三年、衆院比例代表への党の定年制導入に伴い、当時の小泉純一郎首相の説得を渋々受け入れ、同年の衆院選出馬を断念し引退した。

 「自主憲法制定」をライフワークとして、以後も党新憲法起草委員会の前文小委員長を務めたり、小泉元首相が推し進める郵政民営化や靖国神社参拝などに異議を唱えるなど、非議員としての政治活動を続けた。

 首相時代は、その変節ぶりから「風見鶏」とも言われたが、一九九七年に大勲位菊花大綬章を受けたことで、政界、とりわけ自民党内では象徴的な存在ともなった。

 元外相の中曽根弘文参院議員は長男。

 

この記事を印刷する

PR情報